膳摩漏
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膳 摩漏(かしわでのまろ、生年不明 - 天武天皇11年(682年)7月21日)は、日本の飛鳥時代の人物である。旧仮名遣いでの読みは「かしはでのまろ」。姓(カバネ)は臣。672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)の側についた。贈大紫。
『日本書紀』によれば、天武天皇11年(682年)7月9日に、小錦中の膳摩漏が病となり、天皇は草壁皇子と高市皇子を遣わして見舞いさせた。18日に摩漏は死んだ。天皇は驚き、とても悲しんだ。21日に壬申の年の功によって、天皇は大紫の位と禄を摩漏に贈り、皇后(後の持統天皇)も物を贈った。大紫は壬申の功臣の中でも高位だが、書紀が壬申の乱を述べるくだりに摩漏の名は見えないので、どのような活躍をしたかはわからない。