自由アチェ運動
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自由アチェ運動(じゆうアチェうんどう; インドネシア語: Gerakan Aceh Merdeka (GAM))は、アチェとアチェ人のインドネシアからの独立を主張する反政府組織。アチェ独立運動の中心的な存在である。
1976年12月4日、アチェの実業家ハッサン・ディ・ティロ (Hasan di Tiro) が自由アチェ運動を結成し、アチェ・スマトラ国の独立を宣言したが、当時のスハルト政権により運動は鎮圧され、ハッサンはスウェーデンに亡命した。1979年にスウェーデンにて亡命政府を樹立し、1980年代後半からアチェ・スマトラ国民解放戦線 (ASNLF) などの独立紛争を激化させていく。1989年にアチェの一部が軍事作戦地域 (DOM) に指定され、国軍の鎮圧作戦によって民間人を含め多数の死傷者が発生した。1998年5月、世論に押されスハルトが辞任し、後継のハビビは DOM 指定中のアチェ人に対する人権侵害を謝罪し、DOM 指定を解除したため武力闘争は一時小康状態になったものの、年末以降再び国軍が投入され衝突が激化した。このような状況の中で独立の気運は高まり、1999年に入って自由アチェ運動が再度アチェの独立を宣言した。この頃、GAM の主導者の一部が離反し自由アチェ運動評議会を結成したとインドネシアのメディアが報じたが、GAM は否定している。2000年5月、GAM はワヒド政権と停戦に合意したものの武力衝突は絶えなかった。