興宗 (遼)
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興宗(こうそう、1016年-1055年)は、遼の第7代皇帝。姓は耶律(やりつ)、名は宗真(そうしん)(在位:1031年-1055年)。
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[編集] 生涯
1016年、第6代皇帝・聖宗の長男として生まれる。1031年、父の死去により皇位を継承して第7代皇帝として即位する。しかし若年のため、しばらくは生母が摂政として実権を握り、専横を行なった。
しかし成人すると生母を幽閉して実権を取り戻し、自ら親政を開始する。この頃、遼は衰退の兆しが見え始めていたが、興宗は軍事力を増強して北宋への圧力を強め、歳弊を増加させることに成功した。また、新興勢力である西夏に対しても軍を送って屈服させ、朝貢させることに成功するなどして遼の再建を成し遂げた。
その一方で文化面、内政面でも繁栄を遂げた遼は、全盛期を迎えるに至ったのである。1055年に死去。享年40。
後を子の道宗が継いだ。
[編集] 宗室
[編集] 父母
- 父:聖宗
[編集] 子
- 道宗
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