若藤部屋
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若藤部屋(わかふじべや)は大相撲にかつて存在した相撲部屋。
大正時代まで、細々とではあったが、幕内力士を出すこともある部屋であった。大正末期に、大坂相撲から移籍してきた沖ツ海福雄が頭角をあらわし、将来を期待されるようになった。沖ツ海は関脇に昇進、幕内優勝も果たし、大関目前といわれたところで、1933年9月にフグ中毒で死去し、部屋の希望は砕けてしまった。
その後、沖ツ海の弟弟子の越ノ海東治郎が1935年の親方の死去を機に二枚鑑札で部屋を相続し、小戸ヶ岩龍雄を幕内まで育てたが、戦後小戸ヶ岩が廃業するとまもなく部屋を閉じ、親方は伊勢ヶ濱部屋に所属して停年までつとめた。名跡は伊勢ヶ濱部屋の幕内和晃敏郎が継承したが、部屋は興さなかった(後に伊勢ヶ濱部屋を継承している)。
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