薫田真広
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薫田 真広(くんだ まさひろ、1966年9月29日 - )は、岐阜県各務原市出身の元ラグビー選手、ラグビー指導者である。現役時代のポジションはフッカー。東芝ブレイブルーパス前監督。
卒業後、東芝府中に入社。日本選手権3連覇など東芝府中黄金時代の中心選手の一人として活躍。
また、日本代表でもW杯に3大会連続出場するなどキャップ数44を誇る。1995年W杯では主将を務めた。
2000年現役引退。
その後日本代表コーチ、U21日本代表FWコーチを務め、2002年東芝の監督に就任。それまでタイトルから遠ざかっていたチームの立て直しに着手する。トップリーグ発足後は日本選手権優勝を皮切りにトップリーグ3連覇など数多くのタイトルに導き、社会人ラグビーにおける名指導者の名をほしいままにした。
学生時代無名だった選手を巧みに起用する采配で知られており、早稲田時代の教え子を中心とするエリート重視の清宮克幸サントリー監督とは対照的である。
2007年の日本選手権を最後に勇退する。
同年、U-23日本代表監督に就任。
鵜沼第一小学校、鵜沼中学校時代は、野球をしていた。