鍋島清房
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鍋島 清房(なべしま きよふさ、生没年不詳)は戦国時代の武将。肥前龍造寺氏の家臣。鍋島清久の次男。鍋島清泰の弟。鍋島信房・直茂の父。孫四郎。駿河守。
早くから龍造寺家兼に仕え、父や兄とともに、家兼の重臣として活躍した。特に、家兼が馬場頼周に追われて筑後の蒲池鑑盛のもとへ逃げ、その後に挙兵したとき、清房は少弐氏が頼周を助けられないように一揆を煽動すると言う知略を見せている。家兼の信任も厚く、家兼の嫡男・龍造寺家純の娘婿となることを許された。また、龍造寺隆信の家督相続のときも、清房は尽力し、隆信の母を後室に迎えるほど信頼されたと言われている。
後に子の直茂に家督を譲り隠居。沖田畷の戦いの際には佐賀城の留守を守り、子の直茂の生還を知りひそかに喜んだとされる。
1552年、高伝寺を創建。ここはのちに鍋島氏の菩提寺となる。