陳蘭
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魏書の袁術伝に登場する。陳蘭は雷薄と同僚で、共に袁術の部曲であった。袁術は帝位を僭称したものの、暴政を敷いたため人心を失い、呂布や曹操との戦いに敗れて零落する。袁術は雷薄と陳蘭を頼ってきたが、陳蘭らは袁術を受け入れなかった。袁術はやむなく従兄弟の袁紹の子の袁譚を頼り、青州へむかったものの病死することになる。
その後、曹操の命を受けた張郃・張遼・楽進らの討伐を受けて梅成など共に滅ぼされた(魏書楽進伝・張郃伝)。陳蘭と梅成を斬ったのは張遼である。
[編集] 三国志演義
はじめ袁術に仕えて呂布との戦いなどに参加した。しかし、袁術が皇帝を僭称して暴政を繰り広げるようになると、同僚の雷薄と共に袁術を見限って出奔し、長江一帯で暴れまくる山賊になった。199年、上述のように零落した袁術が頼ってきたもののこれを拒絶、袁術は料理人にも見捨てられ吐血し果てることになる。演義では陳蘭の末路には触れられない。