飯羽間遠山氏
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飯羽間遠山氏(いいはざまとおやまし)は、鎌倉時代の末期(1318年頃)に誕生したと言われています。飯羽間に居館を構え、まずは砦程度の山城を築き、大きな規模を持つ飯羽間城を構築。
飯羽間遠山氏の代表者といえば、遠山友信が上げられる。
[編集] 沿革
文治元年(1185年)に源頼朝の重臣・加藤景廉が遠山庄地頭になる景廉の子の景朝は地名をとって遠山と姓を改めました。
室町時代の遠山一族は室町将軍(足利氏)に直属する有力な奉公衆。
長享元年(1487年)に足利義尚将軍が六角氏を討った時、美濃遠山勢はこれに従う(遠山氏族着到帳より)
上村合戦に参加した当時の飯羽間城の城主は、遠山友信である。(寛永諸家系図より)
[編集] 寛永諸家系図
遠山友勝は、飯場城(飯羽間城)に在すが、織田信長の命により苗木城に移り、飯場城を嫡子遠山友忠に譲る。
遠山友忠は、飯場城に在後、嫡子遠山友信に城を譲り、明照城(あでらじょう)に移り、後に苗木城に入る。
遠山友信は、飯場城に在すが、逆心により信長のため誅せられる。
[編集] その他
文献、古文書が少ないため史実情報が少ない。
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