高田がん
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高田 がん(高田 巌・たかだ・がん、1930年5月23日- )は日本の政治運動家。政治団体「反共全国遊説隊」隊長、もと中学代用教員、参議院比例代表研究家。右翼主義者。
[編集] 概要
- 幼くして父を亡くした事もあり、学生時代から自立心は強く、また生来の気性の激しさもあり、やんちゃであった。
- 弱冠17歳にして、敗戦直後の中学校代用教員となり、その後も人生・法律相談や、日雇労働まで多彩な職に就き、敗戦直後の動乱の国家を見つめる。
- 昭和38年4月の統一地方選挙の目玉の一つであった東京都知事選挙に、「誇り高き選挙屋」で名高い肥後亨グループ公認で立候補したのを皮切りに、選挙闘争を展開。
- 肥後亨の病死後は、政治団体「反共全国遊説隊」を結成。隊長として、日本全国の知事選や大阪市長選や参院地方選挙に次々と出馬。
- 当初は右翼・民族派・天皇主義的政見が際立ったが、「泡沫候補の高田がん」という名前が全国に浸透した1970年代以降は、歯切れのよい言葉を並べた選挙公報と、マシンガンのような独特のダミ声の立会い演説で注目されるようになる。本人も、新聞の候補者紹介の中で「演説は赤尾敏より上だ」と断言していたほどである。
- ちょうどこの頃は、NHKなどの政見放送がラジオからTVに切り替わった時期で、政治家たちは、自らに向けられるカメラに緊張し、歯切れの悪い放送も目立ったが、高田がんはテンポ良く、トチる事もなく一発でTV政見放送収録に望んだ。
- また、子煩悩でも知られ、高田がんの立会演説会会場には、彼の子供達がズラリ一列に並ぶ事もあった。
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