魏攸
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魏攸(ぎゆう、151年?-192年?)は、後漢末期の武将。幽州刺史・劉虞の家臣。
右北平郡の人。三国志演義には記述が無い人物である。劉虞の軍師として仕えた。
劉虞が支配する幽州は、異民族の侵入などで常に苦しんでいた。しかし、劉虞は天下から厚い人望を集めていたため、異民族にも慕われていた。このため、劉虞の支配地には、異民族が侵入することは無かったといわれているほどである。劉虞は、さらに異民族との交友を深めるため、魏攸の進言を容れて異民族に金品を贈っていた。ところが、かねてから劉虞の人望を妬んでいた公孫瓚により、金品を奪われるという事件が起きた。
これに怒った劉虞は、公孫瓚を攻めようとしたが、軍師の魏攸が「公孫瓚のような小人を相手にする必要は無い」と諫言したため、思いとどまった。公孫瓚も劉虞に軍師の魏攸がいるうちは、戦っても勝利することは難しいと考え、攻撃することは無かった。
しかし、魏攸が病死した直後、劉虞と公孫瓚は戦い始め、劉虞は敗れて処刑されてしまったのである。