龍潭郷
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台湾省桃園県龍潭郷 | |
地理 | |
位置 | 東経121°14' 北緯24°53' |
面積 | 75,2341km² |
人口 | |
戸口(2006年4月) | 33,671戸 |
人口(2006年4月) | 111,623人 |
政治 | |
行政区分 | 郷 |
市長 | 葉発海 |
地方自治機関 | 龍潭郷民代表会 |
下部行政区画 | 30村900鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 325 |
市外局番 | 03 |
郷花 | - |
郷鳥 | - |
郷木 | - |
別称 | 霊潭陂・龍潭陂 |
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龍潭郷(りゅうたんきょう、Lóngtàn、ロンタン)は、台湾桃園県東北部に位置する郷。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 歴史
龍潭郷は鄭成功統治時代は承天府天興県に属していた。清の康熙年間に台湾府諸蘿県に改められた。当時の龍潭は土地がやせている上、灌漑に不利な高台に位置するため開発が進まなかったが、雍正年間になると漢人の本格的な入植が進んだ。台湾府諸蘿県管轄から彰化県淡水庁管轄に改編された龍潭に、1748年霄裡社通事知母六がこの地区の開発に着手し、灌漑設備を整え水田を開拓した。その灌漑設備で最も有名なのが、中心部に位置する龍潭陂(現在の龍潭大池)であり、これが「龍潭」の地名の由来となっている。
その後。光緒年間には台北府淡水県の管轄となっり、また1895年、日本による統治が開始されると台北県管轄と改められ、1900年から1904年までは桃仔園庁大崁支庁管轄化の潭陡区と改められた。1920年の地方行政再編に伴い新竹州大渓郡龍潭庄と改編されると行政面での改編がある中、水稲を中心として農業開発が推進されていった。
光復後は県制が志向される以前は大渓区、中壢区に属していたが、県制が施行されると桃園県龍潭郷となり現在に至っている。
[編集] 行政区
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[編集] 歴代郷長
[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
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大学 | 0 | |
高中 | 1 | 私立泉僑高級中学 |
高職 | 1 | 国立龍潭高級農工職業学校 |
国中 | 4 | 桃園県立龍潭国民中学 桃園県立凌雲国民中学 桃園県立石門国民中学 桃園県立武漢国民中学 |
国小 | - |
[編集] 交通
種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
高速道路 | フォルモサ高速公路 | 龍潭IC |
省道 | 台3線 | |
省道 | 台3乙線 | |
省道 | 台4線 |