利用者:Keydaimon
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[編集] 名前
keydaimonは、元来高校時代に先輩から「大門」と命名されたことに端を発する。そこでハンドルネーム(ペンネーム)がdaimonとなったが、これは姓名や地名として用いられ、一般名詞に準ずる頻度で用いられるため、一意性を保つためにほかのキーワードを付加する必要性があった。 大門とは、西部警察の大門圭介に他ならぬ、とのことから、daimon_kとなるが、さらに「k」を「key」とし、接頭語として用いたことでkeydaimonになった。発音は、よく間違われるが、由来を考えると、「キーダイモン」ではなく、「ケイ・ダイモン(ケーダイモン)」と読むのが正しいが、ドナルド・クヌース博士のように血眼になってこだわることもない、と本人は考えている。
[編集] 経歴
最初は仙台を嫌悪し、その中途半端さを嘆いていたが、そんな反抗期を経て、現在では仙台を始め、本人に縁のある地をこよなく愛しているが、同時に実家付近の自然が破壊されていることを憂いている。
(・∀・)
[編集] 新明解の心
辞典の役割というものは、門外漢に、その意味を講釈することである。然しながら現在、文を客観的に記述し、それがために意味が不明瞭で抽象的になったとしても、主観的なものは排除されなければならないという傾向にある。「客観的に記述する」ことの利点をしかと理解した上でも尚、私は「主観的」な不利益よりも「抽象的」な不利益を重く受け止めるのである。すなわち、私は少々客観的でない文であろうとも、その意味が明瞭な文を書くことを心がけようと思っている。 もちろん、主観的に傾倒した結果、その語句の意味としては不適当、あるいはまったくの嘘、でっちあげが混じってしまうことは絶対にあってはならない。そのようなことを念頭に置きながら、新明解の心を常に持ち、明瞭で読み応えのある文になるようにしていくつもりである。
具体的になれば嘘・狭義と言われ、抽象的になれば不明瞭といわれる。集合という考えを使えば、何故このように言われるかは一目瞭然であるし、一意の回答というものはないのもわかる。しかしながら、ある程度の広がりを持ちながら、その語句にフィットする「具体具合/抽象具合」があると考える。文を書いてみて推敲し、最後に民意を問う。それ以外に、最も適当な文を見出す有効な手段を、私は見出せない。
[編集] 信念
信ずるに値する光が一本でもあるならば、その道を進め
値するかどうかは己が決めるべし -keydaimon