利用者:Mahopa
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執筆についての考え2
- 第参回執筆コンテストのエントリーを辞退しました。
うーん。悔しい。 まあ、いい加減に仕上げるよりも記事にとってはこの方がいいのですが、と、いうことでピート・シーガーは引き続き執筆中です。
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初稿執筆記事
- 人見絹枝 2006年8月27日 (日) 08:13
- 岡山市立福浜小学校 2006年9月11日 (月) 03:37
- 美吉野運動競技場 2006年9月12日 (火) 00:39
- 明治神宮外苑競技場 2006年9月14日 (木) 06:44
- 大阪市立運動場 2006年9月15日 (金) 05:44
- 寺尾正・文姉妹 2006年9月18日 (月) 02:50
- 鶴田義行 2006年9月28日 (木) 00:32
- アクアフィールド芝公園 2006年10月5日 (木) 03:39
- 明治神宮競技大会 2006年10月5日 (木) 07:03
- 国際女子スポーツ連盟 2006年10月9日 (月) 00:58
- アリス・ミリア 2006年10月21日 (土) 06:01
- エリザベス・フィリップス・ヒューズ 2006年10月21日 (土) 09:38
- ジョージ・アダムス・リーランド 2006年10月26日 (木) 07:22
- 肋木 2006年10月28日 (土) 12:31
- マルチナ・バーグマン=オスターバーグ 2006年10月31日 (火) 07:25
- 井口阿くり 2006年11月9日 (木) 07:38
執筆についての考え
- 人見絹枝を執筆した頃は100点の記事を1つ仕上げるよりも70点の記事を2つ作った方がプロジェクトにとって良いことだと思っていましたが、井口阿くりを執筆した後に方針を変え、記事の完成度を高めるため図書文献を読み込んでいくことにしました。そのため執筆のペースが極端に遅くなっています。特に人物記事については世の中にある参考文献・論文・人物評といった「素材」のエッセンスをできる限り盛り込まなければ記事となった方に対して失礼にあたると感じるようになりました。
- ですので人見絹枝さんには大変申し訳なく思っております。記事「人見絹枝」の内容には問題がありませんが、人物としての彼女を表現するエッセンスを全く盛り込んでいません。私の文章が磨かれ、現在興味ある事柄について執筆を深めた後に大幅加筆・修正する予定です。
- 参考文献や論文、いわゆる出典について考えるきっかけとなったのが鶴田義行の執筆でした。偉大な業績を挙げたにもかかわらず文献があまりありません。「素材」が多くある人物は実は限られているのではないか、その限られた人物について記事を書くのに70点で良しとするのはどんなもんかな、と感じ始めました。
- 明治神宮競技大会執筆のため文献を読んでいた頃、マスゲーム→ソコル(体操結社)→トゥルネンと興味が移り、スポーツ史から体育史・体操史に力点を置くようになりました。そうすると「人見絹枝」の赤リンクだった二階堂トクヨに戻ってしまいます。井口阿くりは二階堂トクヨの前段階として執筆しましたが、二階堂トクヨを書くには永井道明について、永井道明を書くには嘉納治五郎について理解を深めなければならないので読むべき本がどんどん増えていってます。
- ドイツ体操については成田先生の下記文献が参考となり基礎的な知識を得ました。スウェーデン体操そのものについての日本語文献は皆無に近い状況です。国立国会図書館デジタルアーカイブで『体操発達史』(カール・オイラー著、坪井玄道・可児徳共訳)を読むしかないかもしれません。
- 読書にウエイトを置くようにしたとはいえ、1ヶ月も初稿執筆がないのはどうなのかなと思い、勉強のため翻訳に着手しようかなと思っています。当然en からjaだけですが。--Mahopa 2006年12月9日 (土) 00:02 (UTC)
人見絹枝の主執筆者です。「新しい項目」で票を入れてくださった皆様、ならびに編集に加わって頂いた方へこの場で恐縮ですが、お礼を申し上げます。当該記事は削除依頼を受けましたので、私自身の執筆方法がウィキペディアに受け入れられるか見極めるために、審議終了までウィキブレイク致します。Mahopa 2006年8月30日 (水) 19:26 (UTC)
当該記事は存続となりました。審議・対処下さった皆様にお礼を申し上げます。編集を再開します。--Mahopa 2006年9月8日 (金) 12:34 (UTC)