Template‐ノート:Unreferenced
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[編集] テンプレートを添付する条件について
このテンプレートは本文中に該当部分を残しておく場合に添付するもので、本文から一旦コメントアウトなどで除去をした場合には張らないと理解していたのですが、違いますでしょうか?私の理解が正しいかどうか、ご教授いただければ幸いです。--秋の虹 2006年7月10日 (月) 05:12 (UTC)
- 出典が得られず記述を除去した後にまで{{Unreferenced}}を貼る必要はないと思いますし、そもそもこのテンプレートの文面と矛盾していると思います。
- 記述を除去した後に出典を求めるお知らせを出す必要がある場合は、{{SeeTalk}}などを使うのが適当ではないでしょうか。O^tsuka 2006年7月11日 (火) 17:00 (UTC)
[編集] 記事(項目)または節
英語版のように、「この記事(項目)または節は……」として、節にも置けるようにすると指摘箇所が明確になってよりよいのではないでしょうか。同時に、もっと文面をシンプルにして小型化してもいいかもしれません。--.m... 2006年10月9日 (月) 08:37 (UTC)
[編集] 英語版に合わせてテンプレートを全面的に改めました。
従来の日本語テンプレートの内容は、英語版とかけ離れていると思いましたので、英語版に即して全面的に改めました。まず、出典の明記がない=記事に信憑性がない、ではありません。明記がなくても、正しい内容の記事というのはあり得ます。英語版はその点を考慮して、「読者の理解の手助けになるように、出典を明記してください」という意味のことしか書いてありません。従来の日本語版は、脅迫的な印象を与え、執筆者を不安にさせるような内容ですし、いたずらに記事の信憑性を貶めるような印象を受けます。このため、英語版Wikipediaでは、このテンプレートではよく記事に張られていますが、日本語版はあまり見かけません。このテンプレートを張る方も、少し勇気がいります。ですので、英語版に即して、内容をシンプルにして改めました。--山元 2006年11月8日 (水) 14:26 (UTC)
- とりあえず、テンプレートは影響大きいので変更は慎重にしてください。en:Template:Unreferencedにおいて、{{/doc}}となっているのは、en:Template:Unreferenced/docがあるから意味があるのであって、日本語版{{/doc}}いれても意味がないですよ。しかも<noinclude>がなかったので、説明までテンプレートはいっちゃってましたし。--Magu 2006年11月8日 (水) 14:34 (UTC)
- 修正ありがとうございます。--山元 2006年11月8日 (水) 14:39 (UTC)
- 日本語版ウィキペディアには日本語版ウィキペディアのお知らせボックスの体裁があるし、文章も同様。なんでも英語版と同じにしなかればならない道理はないし、勝手にこういう大きな改変をするのはどうかと思うがね。--Fugue 2006年11月10日 (金) 14:12 (UTC)
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- Fugueさんのおっしゃりたいことがわからなくもないですが、.m...さんのコメントがあった時点でまったく反応がなかったのも事実ではないでしょうか。--sabulyn 2006年11月10日 (金) 14:18 (UTC)
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- その人は変更の提案してるだけであって、具体的な変更案は提起していないし、具体的な改変議論も全く行われていない。一度差し戻す。--Fugue 2006年11月11日 (土) 06:52 (UTC)
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- 反応がないのに議論を行うというのも不思議な話ですね。提案せずに改変を行うのも性急ですが、議論の最中に差し戻すのも性急ではないですか。--sabulyn 2006年11月11日 (土) 07:30 (UTC)
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- まず議論してから変更するのが筋。m...氏の提案の時点では具体的な変更内容(文面、体裁他)はまったく提示されていなかったのだから議論のしようなどない。変更するのは議論の後であって、先に変更してから議論するなどというふざげた話はない。--Fugue 2006年11月11日 (土) 10:25 (UTC)
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- Fugueさんのおっしゃっていることは、「具体的な変更内容を掲示する前では議論のしようなどない」と受け取れますよ。--sabulyn 2006年11月11日 (土) 12:15 (UTC)
- 現在、本テンプレートを貼り付けている記事が複数ありますが、それらを貼り付けた方々は元の文章が適切であるとの判断で添付したものだと思います。文章を変更した場合にはそれらの記事での整合性(信憑性が無いという指摘も必要な記事かどうか)も確認すべきではないでしょうか?、「まったく反応がなかったのも事実」ですが、慎重に行うべきだったという意見も正しいと思います。
- 出典を求める場合には記述内容に疑問がある場合もままあると思われますから、「出典を望む;記述内容の確認が必要で、確認できなければ記述削除を検討すべき」という内容のテンプレートがあってもよいと思います。一方で、単に参考文献を知りたい場合もあるでしょうから、ソフトな文章のものからハードな文章のものまで2~3個用意して、状況に応じて使い分けできると便利かなと思います。Sina 2006年11月11日 (土) 04:25 (UTC)
テンプレートが一方的に差し戻されているようですが、英語版ではダメなのでしょうか。.m...さんの提案から一ヶ月経っていますし、以前の版が優れている理由をお聞かせください。--山元 2006年11月11日 (土) 06:56 (UTC)
- 改変するのであれば、まず具体的な改変案をまず提示してその内容を議論し合意形成してから実施するのが筋であり、それを怠った独断専行の勝手な変更など差し戻すのが当然。
- Wikipedia:Template メッセージの一覧/問題のある記事にあるように、日本語版ウィキペディアにおいてメンテ用ボックスのスタイルは全て共通のものを使用しているのに、このテンプレだけ英語版の水色ボックスを導入するなどまったくもって意味不明。
- 日本語版ウィキペディアは英語版ウィキペディア邦訳版ではないのであり、英語版ウィキペディアと全て同じにすべき理由はない。 スタイルも文面も元のバージョンのままで問題があるとは思わない。
以上の理由により変更には反対、議論を経ずして独断専行で行われた改変は差し戻し。--Fugue 2006年11月11日 (土) 10:25 (UTC)
- 私はテンプレート改変の手続きがどういうものか知らなかった点が一つ、それと.m...氏の発言に対して誰も反応がなかったので、そもそもこの問題に対してほかの方はあまり関心がないだろうと思ったのが一つです。水色テンプレートに合わせるべきだった言うご指摘はごもっともです。もっとも、私の態度も性急だったかもしれませんが、Fugueさんの反応も「差し戻しのための差し戻し」という気がします。私は出典の明記=記事の信憑性がない、ということではないと述べましたが、この点については、どう考えられますか。--山元 2006年11月11日 (土) 11:03 (UTC)
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- 1と3は概ね同意。独断専行による改変は差し戻されても仕方がないと思います。しかし、スタイルを統一しなければならない方針と理由は存じません。
- 山元さんへ。一応、このテンプレートはWikipedia‐ノート:出典を明記するで合意を得て作成されたものなのです。ご足労をおかけしますが、そちらで山元さんの案を提案してただけないでしょうか。--sabulyn 2006年11月11日 (土) 12:15 (UTC)
- なるほど、そういうページがあったのですか。了解しました。そちらで提案してみたいと思います。--山元 2006年11月11日 (土) 12:27 (UTC)
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- 「出典記載の欠如=記事の信憑性がない、ということではない」などということはない。ウィキペディアでは、記事内容の「信憑性」を保証するのは検証可能性のみという公式方針になっている。ウィキペディアにおいては、掲載される記事内容の信憑性の保証は検証可能性に関してしか行っていない。だから検証に必要な出典の明記が必須とされている。「出典の明記がなくても信頼できる」という理屈は他所では通じてもウィキペディアでは通じない。ウィキペディアでは、出典記載無し=検証不可能=ウィキペディアでその内容の信憑性を確認・保証するすべ無し=掲載に値しない(無論、執筆者自身が出典を明記していなくても、別の編集者がそれを探してきて提示できるような場合は例外)。いくら内容が正しかろうと何だろうと、その内容が既存の信頼のおける外部媒体において発表済みであり、他の編集者がそのことを確認できないのであれば(つまり検証可能でなければ)、その内容はウィキペディア掲載に値するとはされない。--Fugue 2006年11月11日 (土) 18:05 (UTC)
- 「出典の明記をしてください」と主張することは、検証可能性を保証するために、参考文献や引用源を明記してくださいと言っているだけです。この時点で、その記事の信憑性については中立のはずです。テンプレートを張る人は、原則としてその時点では、記事内容が真実であるかどうかは分からないわけです。もちろん、その人がその記事内容の分野に精通していて、予断としてその記事の信頼性が低いと判断している可能性はあります。しかし、それはまた別の話です。--山元 2006年11月12日 (日) 14:50 (UTC)
- 「出典記載の欠如=記事の信憑性がない、ということではない」などということはない。ウィキペディアでは、記事内容の「信憑性」を保証するのは検証可能性のみという公式方針になっている。ウィキペディアにおいては、掲載される記事内容の信憑性の保証は検証可能性に関してしか行っていない。だから検証に必要な出典の明記が必須とされている。「出典の明記がなくても信頼できる」という理屈は他所では通じてもウィキペディアでは通じない。ウィキペディアでは、出典記載無し=検証不可能=ウィキペディアでその内容の信憑性を確認・保証するすべ無し=掲載に値しない(無論、執筆者自身が出典を明記していなくても、別の編集者がそれを探してきて提示できるような場合は例外)。いくら内容が正しかろうと何だろうと、その内容が既存の信頼のおける外部媒体において発表済みであり、他の編集者がそのことを確認できないのであれば(つまり検証可能でなければ)、その内容はウィキペディア掲載に値するとはされない。--Fugue 2006年11月11日 (土) 18:05 (UTC)
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- 検証可能性というのは、ウィキペディアという百科事典に掲載する記事の信憑性・クオリティを保証するための手段以外の何物でもない。ウィキペディアは百科事典編纂プロジェクトであり、その第一の目的は質の高い信頼できる百科事典を編纂し提供するということ。その目的達成のための手段の一つとして検証可能性という方針が打ち出されている。ウィキペディアでは独自に掲載内容の正確性を検証することはできない。だから代わりに検証可能性によって間接的に記事の質を保証する。検証可能性(および出典明記)は「質の高い信頼のおける百科事典を提供する」という明確な目的があってのものである以上、「中立」もクソもない。ウィキペディアは別に検証可能性自体のために検証可能性を追求してる検証可能性カルトじゃあないし、出典明記のために出典明記してるわけでもない。記事の質・信憑性 > 検証可能性 > 出典の明記。本来の目的を忘れて検証可能性自体や出典明記自体を何かの崇高な理念であるかのように崇め奉る教条主義に陥ってるようでは噴飯物。--Fugue 2006年11月12日 (日) 15:45 (UTC)
- 出典の明記は「考慮されるべきガイドライン」であって、「公式な方針」ではありません。言い換えれば、あくまで「要請」であって「強制」ではない。そもそも、出典のない投稿が禁止されているわけでもありません。また、出典の明記のテンプレートは、検証可能性の手段(参考文献)を要請するもので、記事内容について予め真偽の判断を下すためのテンプレートでもありません。そもそも、検証可能な出典が明記されてないのだから、その時点で真偽について判断できるわけがないのですから。--山元 2006年11月12日 (日) 16:03 (UTC)
- 検証可能性というのは、ウィキペディアという百科事典に掲載する記事の信憑性・クオリティを保証するための手段以外の何物でもない。ウィキペディアは百科事典編纂プロジェクトであり、その第一の目的は質の高い信頼できる百科事典を編纂し提供するということ。その目的達成のための手段の一つとして検証可能性という方針が打ち出されている。ウィキペディアでは独自に掲載内容の正確性を検証することはできない。だから代わりに検証可能性によって間接的に記事の質を保証する。検証可能性(および出典明記)は「質の高い信頼のおける百科事典を提供する」という明確な目的があってのものである以上、「中立」もクソもない。ウィキペディアは別に検証可能性自体のために検証可能性を追求してる検証可能性カルトじゃあないし、出典明記のために出典明記してるわけでもない。記事の質・信憑性 > 検証可能性 > 出典の明記。本来の目的を忘れて検証可能性自体や出典明記自体を何かの崇高な理念であるかのように崇め奉る教条主義に陥ってるようでは噴飯物。--Fugue 2006年11月12日 (日) 15:45 (UTC)
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- ガイドライン「Wikipedia:出典を明記する」はウィキペディアの記事において出典を記載する際の書式を規定するスタイルガイドラインであって、別に出典を明記すること自体の重要性を説くのが本旨ではない。出典明記の重要性を言っているのは検証可能性の方針。また、Template:Unreferencedは出典明記を促すテンプレートであって、出典明記ガイドライン自体ではないし出典明記ガイドラインが独占するものでもない。--Fugue 2006年11月12日 (日) 16:32 (UTC)
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- こんにちは。
- 念のため説明すると、上の自分の提案(というより、コメント)では、
- 節にも置けるような文面にしてはどうか
- 節に置くとしたら大きすぎ(文が長すぎ)ないか
- ということまでしか意図していませんでした(英語版のまねは結果であってそれが目的ではありません、もちろん)。ただ表には出しませんでしたが、信憑性に疑問があるときの {{正確性}} はすでにあるわけで、これとの棲み分けないし統合、もしくは再編も考えた方がいいのではないか、とは思っていました。あとなんか {{要出典}} てのもあったような(こっちはまさに重複?)。まだほかにもあったりして。
- 具体的には、信憑性だとか読者への手助けだとかは一切書かないで、シンプルに「・・・出典あるいは参照すべき文献の記載がありません(ノート参照)。」くらいでいいんじゃないかなーと(例ですよ飽くまで)。「求められている」というのすら、気持ちがはいっちゃってるので避けて、いろんなケースに対応できるよう、単に「ない」という事実の記述にしておいた方が無難かなと。英語版の2行目はw:Wikipedia:WikiProject Fact and Reference Checkへリンクしたかったというのが本音で、それ以上の意味を読み取るのはやりすぎじゃあないでしょうかね。
- で、Fugue さんのおっしゃってることには、「信憑性に疑問がそれほどないケース」もあるんじゃないか、という一点(これが山元さんの論点のようですが)を除いて同意なんですが、それを踏まえた上でやはり今の文面は長すぎるというのが僕の印象です。大体、「出典を求める」にしろ「出典がありません」にしろ、そんな表示がわざわざされているのを見た時点で、たいがい、「あ、これってつまりアヤシイってこと?」というのは思い浮かぶでしょう。とはいえ、上のコメントをしたときは、「まぁ別に今のままでもいいかなぁ」という程度にしか思わなかったから、具体的な提案はしなかったわけですけれども。
- どうしても今の記述を譲れない、ということであれば、「内容の信憑性に疑問が持たれています」という言い切りのところだけでもなんとか(変えるか、オプションで書き換えられるようにするか)すれば山元さんとの妥協点を見出せるのではないかな、と思います。ていうかやっぱ {{正確性}} との棲み分けかなぁ・・・
- あぁそれと僕が偉そうに言うことじゃあないですけど、山元さんの議論なしの変更も、それに対する異議としての Fugue さんの revert も、どっちも大胆で機動的な、議論をすばやく進めるやり方として正しかったと思いますよ。揉める点じゃあない。まっとうな wiki way ではないでしょうか。 --.m... 2006年11月12日 (日) 06:18 (UTC)
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みなさん、こんにちは。少し前提が誤解されているように思うので、説明しておきますね。私は「出典明記推進派」です。ですから、このテンプレートがもっと利用されることを願っています。しかし、このテンプレートは現在警告的色彩が強いので、それを推奨的なテンプレートにしたほうがいいのではないか、ということです。私は英語版もよく読みますが、このテンプレートはよく利用されていて、それでいて記事の冒頭に張ってあっても、嫌みに感じないのです。現在の日本版は露骨に記事の信憑性に疑問を投げかけるような文面になっているので、それを変えた方がいいのではないかということです。それによって、もっとこのテンプレートの利用がなされ、ひいては出典の明記が進むのではないかという考えです。--山元 2006年11月12日 (日) 07:04 (UTC)