利用者:Wada-J
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wada-J groovin'(わだじぇい ぐるーびん、1982年8月15日 - )は、日本のテクノDJ。A型。北海道帯広市出身。本業をしながら、趣味として2004年からDJのキャリアをスタート。熱狂的千葉ロッテマリーンズファンとしても知られる。
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[編集] 生い立ち
1982年8月15日、北海道帯広市に生まれる。中学1年生の時に聴いたディープ・パープルのRitchie Blackmoreのギターソロに衝撃を受け、音楽に開眼。以降は70'sハードロック中心に聴くようになる。そして、興味はギターからハモンドオルガンへと変わり、高校生の時にはプログレにも影響を受ける。この時に聴いたKRAFTWERKからテクノミュージックの基礎を学ぶ。また、高校時代はアコースティックギター片手に、1999年から2001年までの2年間、路上ライヴを経験する。この頃から、自己表現に対する想いが強くなる。
[編集] 学生時代
所謂、バンド上がりではなく、音楽経験というのは『2年間の路上ライヴ』と、短大時代に3ヶ月で頓挫したバンドくらいであった。故に、楽器が殆ど出来ない。路上ライヴで培ったギターについても、『指が太い』を理由に挫折。とにかく色んな音楽をMDに落としては登下校の時に聴いており、ロックからジャズ、ファンクまで様々な音楽をカバーしていく。特にプログレッシヴ・ロックには強烈な影響を受けており、特にキング・クリムゾンのREDには強い影響を受けている。
[編集] 自己表現
性格はかなりの目立ちたがり屋であり、自分が何かをして楽しんでもらいたいという気持ちが強い。それ故、高校3年生の時の進路では進学しようか演劇の道に進もうかと本気で迷い、結局は進学の道に進む。演劇の切欠は、当時帯広市のコミュニティーFMでラジオパーソナリティをしていた溝手孝司の影響が強く、演劇への道が絶たれてた今もなお、舞台や映像に対する制作意欲は強い。機材さえ揃えるお金があればいつでも映像は作る気力はあるのだが、資金難とモチベーションの問題で未だ実現には至っていない。
[編集] テクノDJへ
DJを目指すきっかけは、2001年のWIRE01での電気グルーヴのサポートメンバーだったDJ TASAKAのパフォーマンスである。初任給でターンテーブルとミキサーを揃え、2004年12月に地元帯広のクラブnomeにてデビュー。元々はINTECやPRIMATEといったレーベルを主体としたハードテクノが選曲の中心であったが、札幌のクラブに通い詰める内に、プレイジャンルの幅も広がっていく。今はディスコやニューウェーヴ、クリックやエレクトロ中心の選曲が多く、以前のようなハードテクノをプレイすることはあまり見られなくなった。2005年にはDUSTDAYSに加入。同年、レイ・ハラカミとも共演を果たす。2006年からは札幌でのDJ活動をスタート。そして、2007年には札幌の老舗クラブであるPLASTIC THEATERのイベント『[ORANGE]』のレギュラーDJとしてプレイしている。 また、自主制作のMIX CD"Mix by wada-J groovin'"は、出演しているパーティーにて無料で配布されている。