甲子園口站
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日語表記 | |
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日語原文 | 甲子園口駅 |
假名 | こうしえんぐちえき |
羅馬字 | Kōshienguchi-eki |
舊漢字體 | 甲子園口驛 |
甲子園口站,位於兵庫縣西宮市,屬西日本旅客鐵道(JR西日本)東海道本線(JR神戶線)的鐵路車站。
JR甲子園口站 | |||
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目录 |
[编辑] 概要
駅名となっている「甲子園口」は、当駅東方で武庫川から南西方向に分岐していた枝川が武庫川の改修工事により埋め立てられ、その土地を入手した阪神電気鉄道が「甲子園」としてスポーツ・レクリエーション・郊外住宅地の開発を行ったことに由来する。駅名からは甲子園球場に近い印象を受ける。しかし実際は、甲子園(の住宅地)として開発された地域には近いものの、甲子園球場までは南西方向に2km弱の距離がある。甲子園球場への最寄駅は阪神本線の甲子園駅である。この駅から甲子園球場へは駅の南側から出ている阪神電鉄バスを利用する。元々「~口」という名称は「篠山口」「吉野口」に見られるように「~への入り口」という意味であり、この駅もその例にもれない。しかしながら「甲子園口」を「甲子園(球場)前」と誤解した甲子園球場に向かう客が「甲子園球場がないのに甲子園を名乗るのはおかしい!詐欺だ!」と抗議する例が時折見られる。
北側と南東側は閑静な高級住宅街となっており、南側は昭和レトロな商店街などもある。以前は映画館が3軒も営業していた。北側駅舎は昭和初期の木造洋館がそのまま用いられ、瀟洒な街並みにマッチしている。
なお、駅所在地の現在の地名は西宮市甲子園口二丁目であるが、この地名をもとにして駅名が命名されたのではない。甲子園口一丁目~六丁目という町名は1950年になって駅名にちなんで名づけられたものであり、駅開業当時は武庫郡瓦木村下新田という地名だった。ただし、行政上の地名としての甲子園口は1950年以降の命名だが、新興住宅地として開発を進める上において付近一帯は新駅設置内定の頃から甲子園口と呼ばれてきた。
[编辑] 車站構造
島式ホーム2面4線の高架駅。ただし盛土高架で、改札口に通じる階段がホーム東端にしかないため、交通バリアフリー法による駅エレベーター設置要件(一日の乗降客数5,000人以上)に該当する駅でありながら、コストの問題から未だにエレベーターが設置されていない。JR西日本はホームを東側に延伸、移動させた上でエレベーター、エスカレーターを設置することに合意したが、具体的に進捗しておらず、未だ宙ぶらりんの状態となっている。
開業当初は1番線が下り外側線、2番線が下り内側線だったが、現在は配線が変更されており、1番線が下り内側線、2番線が内側線の行き止まり、3番線が上り内側線となっているため、下り外側線にはホームがない。また、上り外側線側(4番線)はステンレス製の柵で封鎖されているが、ほぼ等間隔で取り外せるスペースが設けられており、団体列車や外側線列車が臨時停車する場合に備えている(と言っても、高校野球応援団体臨時列車も含め実際に使用されたことはない)。2番線は早朝の折り返し列車が使用するほか、事故発生などによりダイヤが乱れた場合に、ダイヤ調整用の折返し線としても利用される。
戦時中は軍需輸送のため、阪神武庫川線に線路が繋がっていた。現在の下り外側線はこの線路を転用したものである。
[编辑] 車站周邊
- 武庫川
- 武庫川女子大學上甲子園校園(甲子園會館)
- 甲子園口商店街
- 甲子園學院
- 松山大學温山記念會館(舊新田邸)
[编辑] 巴士
- 南口 阪神電鐵巴士 阪神甲子園方向
- (濱甲子園線) 往濱甲子園
- (鳴尾濱線) 經甲子園八番町 往鳴尾濱
- (鳴尾浜線) 經阪神鳴尾 往鳴尾濱
- (高須東線) 經甲子園八番町 往高須東第一
- (高須東線) 經阪神鳴尾 高須東第一
- (武庫川團地線) 經甲子園八番町 往武庫川團地南
- (武庫川團地線) 經阪神鳴尾 往武庫川團地南
- 北口 阪急巴士
- 39・50號(西宮市内線) 往西宮北口
- 50號(西宮市内線) 往西宮中央病院
- 36號(武庫川線) 往仁川站前・甲東園(甲武橋・段上町七丁目・經過競馬場)
[编辑] 使用狀況
2003年度﹝平成16年度﹞一天的客量是19,148人。(兵庫縣統計書)
[编辑] 歴史
- 1934年7月20日 開業(吹田~須磨之間的電車也同時開始運轉)
- 1987年4月1日 國鐵分割民營化後由JR西日本繼承經營
- 1995年1月17日 由於阪神・淡路大震災而暫停通行
- 1995年1月19日 尼崎~甲子園口間的内側線恢復運轉
- 1995年1月25日 甲子園口~蘆屋間的内側線恢復運轉
- 1995年2月14日 尼崎~蘆屋之間的外側線恢復運轉
吹田~須磨間での電車運転に伴い、塚本駅・立花駅などと同時に開設された。瓦木村の熱心な誘致運動が実ったものである。駅開設と同時に甲子園口土地区画整理組合が設置され、周辺の開発が推し進められるようになった。それに伴い駅の利用客も増加し、1941年には隣駅西ノ宮のそれを追い抜き、現在ではほぼ倍の水準になっている。
[编辑] 阰隣車站
- 東海道本線(JR神戸線)
- 普通(各站停車)
- 立花站 - 甲子園口站 - 西之宮站
[编辑] 關連項目
- 阪神間現代主義
- 西宮七園
- 高級邸宅街