東海道本線
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東海道本線,起於日本東京都千代田區東京站,迄於兵庫縣神戶市中央區神戶站,是東日本旅客鐵道(JR東日本)、東海旅客鐵道(JR東海)及西日本旅客鐵道(JR西日本)的傳統鐵路幹線。
東海道本線共分為三大路段,分屬三家JR系統業者經營。東京站=熱海站間屬於JR東日本、熱海站=米原站間屬於JR東海、米原站=神戶站間屬於JR西日本之管轄。
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[编辑] 路線資料
- 管轄/路線距離:全長713.6km(包含支線。東京~神戶距離589.5km)
- 東日本旅客鐵道(第一種鐵道事業者):
- 東海旅客鐵道(第一種鐵道事業者):
- 西日本旅客鐵道(第一種鐵道事業者):
- 米原站~神戶站距離143.6km
- 梅小路站~丹波口站距離(3.3km)(西日本旅客鐵道並無將本線列入管轄/路線距離。)
- 吹田站~(舊・宮原操車場)~尼崎站距離10.7km(別稱:北方貨物線)
- 吹田站~梅田站~福島站距離(8.5km)(別稱:西日本旅客鐵道並無將本線列入管轄/路線距離。)
- 日本貨物鐵道:
- 第一種鐵道事業者區間:
- 山王信號場~名古屋港站間6.2km(通稱:名古屋港線)
- 吹田信號場~大阪貨物終點站(大阪ターミナル站)間8.7km(通稱:大阪終點線)(大阪ターミナル線)
- 第二種鐵道事業者區間:
- 品川站~熱海站間(97.8km)
- 品川站~新鶴見信号場間(13.9km)
- 東京貨物終點站~浜川崎站間(12.9km)
- 鶴見站~横濱羽沢站~東戸塚站間(16.0km)
- 鶴見站~八丁畷站間(2.3km)
- 鶴見站~新興站~東高島站~櫻木町站間(11.2km)
- 熱海站~米原站間(341.3km)
- 南荒尾信號場~關之原站間(10.7km)
- 南荒尾信號場~美濃赤坂站間(1.9km)
- 米原站~神戸站間(139.0km)(經由北方貨物線)
- 吹田站~梅田站~福島站間(8.5km)
- 第一種鐵道事業者區間:
- 軌距:1067mm
- 站数:
- 旅客站:161站(JR東日本34站、JR東海80站、JR西日本47站,包含起終點站,但品川~新川崎~鶴見間、大垣~美濃赤坂間以外的支線站除外)
- 貨物站:14站(旅客併設站除外)
- 複線區間:
- 雙複線以上(在来線※):
- 東京站~小田原站間 83.9km
- 草津站~神戸站間 98.1km
- 複線:
- 小田原站~草津站間(南荒尾信號場~垂井站~関之原站間、上行本線與單線(通称:垂井線)並列)
- 品川站~新川崎站~鶴見站間
- 浜松町站~東京貨物終點站~川崎貨物站~浜川崎站間
- 鶴見站~八丁畷站間
- 鶴見站~東高島站間
- 鶴見站~横浜羽沢站~東戸塚站間
- 吹田站~梅田站間
- 吹田站~(舊宮原操車場)~尼崎站間
- 單線:
- 入江信號場~新興站間
- 東高島站~櫻木町站間
- 山王信號場~名古屋港站間
- 大垣站~美濃赤坂站間
- 大垣站~(新垂井)~関之原站間(下行専用的勾配緩和別線)
- 梅小路站~丹波口站間
- 吹田站~大阪貨物終點站間
- 梅田站~福島站間
- 雙複線以上(在来線※):
- 電化區間:
- 除了山王信号場~名古屋港站間外全線電化(直流1500V)
- 闭塞:
- 複線自動闭塞式(下述以外及南荒尾信號場→関之原的下行線)
- 車内信號式(東京~品川~横濱間的山手、京浜東北線區間)
- 單線自動闭塞式(上下記以外的單線區間以及垂井~関之原間的下行線)
- 特殊自動闭塞式(軌道回路檢知式 吹田~大阪貨物終端間)
- 路牌闭塞式(八幡信號場~名古屋港間)
- 運轉指令所:
- 東京~熱海間:東京總合指令室
- 熱海~新所原間:静岡總合指令所
- 新所原~米原間:東海總合指令所
- 米原~神戸間:新大阪總合指令所
- 最高速度:
- 東京~大船間・小田原~豊橋間 110km/h
- 大船~小田原間・豊橋~米原間 120km/h(但南荒尾信號場~垂井~関之原間 85km/h)
- 米原~神戸間 130km/h
※注:上述皆只單單表述在来線的部分。 東海道新干線當初建設的目的是作為「東海道本線的軌道增加」,從這個點來說的話,除了支線以外全線都是「雙複線」以上。但是在JR路線的名稱公告裡東海道新干線及山陽新干線(新大阪站~新神戸站)都是當做為沒有東海道本線名稱的「支線」(在1982年東北新干線開業以前都是單純增加軌道)。另一方面,基本事業計劃與國土交通省監修的『鐵道要覽』是當作別的路線。
[编辑] 概要
包含了日本最早開通的鐵道—新橋站(之後的汐留貨物站)~横濱站(現在的櫻木町站)間,沿著東海道(嚴格說來包含一部份的美濃路、中山道)連結東京至神戸的沿線都市。
有經營定期旅客業務的支線包含大垣站~美濃赤坂站間(通稱「美濃赤坂線」)、大垣站~(新垂井)~關之原站間(下行線是為了勾配緩和的別線,現在下行優等列車為通過狀態)以及作為横須賀線運轉的品川站~新川崎站~鶴見站間(通稱:品鶴線)。首都圏、名古屋近郊、京阪神地區另有許多貨物支線(東海道貨物線等)。
在東京近郊與京阪神地區中,電車線是並行行駛的(東京站~品川站間山手線、東京站~横濱站間京濱東北線、京都站~西明石站間東海道・山陽線普通電車都是屬於東海道本線的電車線)。在東京近郊的列車線中,設有快速列車的位置,京阪神地區中新快速與一部份快速的原則列車線,以及大部分的快速與普通的原則電車線,是採用混合行駛的運用方式。
在JR西日本管轄內米原站~神戸站之間,通常會賦予區間路線愛稱,米原站~京都站間為琵琶湖線的一部份、京都站~大阪站間是JR京都線、大阪站~神戸站間是JR神戸線的一部份。此外,在山陽新干線到達新大阪站時車内播送的換車信息會使用上述愛稱,但東海道新干線側則使用正式名稱「東海道線」。
東京站~熱海站間包含東京近郊區間,米原站~神戸站間包含大阪近郊區間,東京近郊區間是東京站~大船站間、品川站~新川崎站~鶴見站間,大阪近郊區間的京都站~神戸站間包含電車特定區間。
2001年9月21日開始在東京近郊區間,湘南新宿線快速列車經由新宿站往高崎線的直通列車運轉開始。自蛇窪信號場至戸塚站於横須賀線的電車路線上行駛。
此外,在2011年(原為2009年度末但施工延遲)因東北・上越新干線建設而一度廢止之東北本線列車線由上野站延伸至東京站,宇都宮線、高崎線、常磐線的各列車計畫將相互直通運轉(東北縱貫線計画)。但在常磐線部分,宇都宮・高崎線與東海道線的車輛屬同一形式,與常磐線無法共通運用,常磐線的一部份列車可能不會通至東京站而是通至品川站。
全區間是代表日本的動脈,除了夜行列車以外,遠距離的旅客輸送已經讓給了東海道新干線,運行通過全區間的多半是貨物列車。除了關原以外的地區都通年温暖,為了改良坡道也做了緩和,事實上「平坦線・暖地向」「幹線機」等形式,多半是以本線為基準開發的車輛。(國鐵113系電車、國鐵C59形蒸氣機関車、國鐵C62形蒸氣機關車、國鐵EF57形電氣機關車、國鐵EH10形電氣機關車、國鐵EF65形電氣機關車、國鐵EF66形電氣機關車、JR貨物EF200形電氣機關車等)
[编辑] 名稱
單獨稱呼東海道線(とうかいどうせん)時,不僅僅是指舊『日本國有鐵道線路名稱』的東海道本線以及其支線,還包含了山手線、横須賀線、御殿場線、身延線、飯田線、武豊線、福知山線等及其支線,現在都是簡稱為東海道本線。
東海道本線運行的列車全線都稱呼使用東海道線。在東京近郊東京站~熱海站間的中距離電車旅客簡介都使用這個名稱(車站・車内的廣播、行先表示),JR東海於東海道本線管轄內的全部區間,也就是沼津・静岡・名古屋・岐阜周辺都使用「東海道線」來做介紹。米原以西的JR西日本區間也有稱呼「東海道線」的情形,但在1988年3月該公司決定琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線等愛稱後,多半都是使用這些愛稱。
在傳播媒體中,近畿的地方電視新聞、神戸新聞與京都新聞、地方裁判所的土地公示廣告、都市再生機構與民間不動産公司的廣告、一部份的地圖集(包含汽車導航、網路地圖)一般都使用琵琶湖線、(JR)京都線、(JR)神戸線,全國版新聞節目與報紙除朝日新聞・朝日放送(ABC)以外原則上皆使用東海道(本)線。
[编辑] 沿線風景
雖然有著東海道的名稱,但是多半不是走在海岸線上,,能夠看到海景的路段僅限於平塚・國府津~熱海・三島・由比・浜名湖・蒲县周圍。原來東海道這個名稱由來是因為沿著是江戸時代五街道中的舊東海道舖設而來,是將古代律令時代制定之五畿七道,即東海・南關東等所指地域(三重・愛知・靜岡・山梨・神奈川・千葉・茨城等)連結而成的街道,並非單指海岸沿線的區域。
當初鋪設時距離海岸線有一點距離,有一說是軍部擔心外國艦隊可以是用艦砲射擊鐵道,實際上當初明治政府原本決定要沿著中山道鋪設幹線,但因在山岳地帶鋪設有困難,因此改為東海道路線,之後的山陽鐵道(山陽本線)選擇離海岸有一點距離鋪設就是來自軍部的要求。之後於濱名湖北側迂迴的二俣線(現在的天龍濱名湖鐵道),是為了避免湖與太平洋的連結而建,1940年(昭和15年)通車。
比較有力的說法是以當時的土木技術與車輛性能來說,因為隧道與坡度的限制,舖設條件相當有限,東海道海岸沿線有許多地方地形險惡,因此選擇以內陸路線迂迴,地形不佳的舊東海道豐橋~岡崎與鈴鹿峠改以其他路線,京都~大阪以京街道對岸行駛,國府津~沼津・關原周邊・山科周邊在編成擴大以後,以坡度較小的路線替代。
品川與横濱附近以靠近海岸線的路線鋪設,因為用地無法取得,品川站是蓋在填海地中,在横濱之前的區間是在淺海中填土做成的,這些地方因為是填海地的關係,都再也看不到海。
[编辑] JR東日本區間
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在JR東日本區間運用之E231系電車
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東海道本線的起點站・東京站是集中JR各線,國內少數的大終點站。東海道線列車由東京站離開後,在品川站之前是與山手線・京濱東北線・東海道新干線並行,也與同區間的地下路線横須賀線以及都營地下鐵淺草線~京急本線並行。在東京~小田原間,主要都是在辦公街・繁華街・住宅街中行駛,川崎站~横濱站間是在工場・倉庫・以及中繼貨物設施中通過,在保土谷~東戸塚間,貫穿三浦半島延續而來的稜線之隧道(清水谷戸隧道),是日本現役鐵道隧道中最早興建的。大磯~国府津間則變成田園景色,其他地區則有著廣大的關東近郊沿線風景。横濱站附近沿著海岸行駛,現在的横濱站是建立在填海地上,該站的東口是廣大的購物街,已經不再能夠感受到多少海的氣息。在横濱Sogo(Sogo横濱店)東側的横浜BAY QUARTER2樓,連結著的棧橋是往港未來21(ぷかり桟橋)・紅磚倉庫・山下碼頭(冰川丸前)的シーバス開船之處。在平塚前之相模川橋樑上可以從車窗遠眺相模灣。小田原站~真鶴站間,因為山與海直接相連,所以是隧道較多的區間,在隧道與隧道之間可以反覆的看到蜜柑田與相模灣藍色的海景。靠近根府川站的白糸川鐵橋是有名的攝影地點,好天氣時可以看到西北側箱根山的外輪山。以前的根府川站因關東大地震造成的土石災害崩落沈入海中,現在海底還殘存當時的月台。真鶴站是最靠近因相模灣而海產豐盛之真鶴漁港的車站,周邊有許多具有新鮮魚貝類的飲食店。湯河原站之前是小田原以西最初的廣大平地,這裡的山腳有因梅園而有名的幕山公園。湯河原是著名作家或政治家最常隱居的湯河原温泉之玄關,特別是在夏天有許多往吉濱海水浴場的旅客。離開湯河原跨過流著湯河原温泉的千歳川便進入靜岡縣,經過泉越隧道越過伊豆山,便到達日本少數温泉都市也是與JR東海區間交界車站熱海。
[编辑] JR東海區間
[编辑] 熱海~豐橋
熱海站之東南側太平洋海岸(相模灘)有溫泉街,車站與溫泉街之間土産物店林立。熱海を出ると伊東線の来宮駅が見えるが、並行して走る東海道線にはホームが無く、電留線となっている。そのすぐ西側が丹那トンネルの入口である。丹那トンネルの掘削工事は多数の死傷者を出した難工事であった。丹那トンネルを抜け函南を過ぎて山地を過ぎると三島に着く。三島は富士の湧水に満ちた清流の町であり、また修善寺温泉・天城湯ヶ島温泉への西の玄関口でもある。清流に育った鰻料理はやや値が張るが絶品である。また沼津は漁港の町であり、沼津港の魚河岸には揚ったばかりの駿河湾の幸を堪能できる飲食店が林立する。また西伊豆方面観光の玄関口でもある。吉原~富士川間では天気さえ良ければ富士山の雄大な眺めを堪能できる。山部赤人の詩歌にも登場する田子の浦を過ぎると製紙工場の町として有名な吉原、富士に着く。富士市も吉原市(現・富士市)も、かつては町全体が製紙工場のクラフト臭に満ちていたが、近年は製紙会社の企業努力により大分改善された。
富士川を渡ると静岡市・由比町へ。蒲原~清水間では崖と海の間の狭い平坦地を走る。海側には国道1号と東名高速道路が並走し、由比駅を過ぎて高速道路が内陸に離れるまで海への視界は遮られる。由比駅付近は由比漁港で揚がるサクラエビやシラスを題材とした観光地となっている。東海道広重美術館は駅から旧東海道を歩いて約15~20分であり、その道路沿いにはサクラエビを中心とした海鮮物販店・飲食店が散在する。清水駅では線路が南北に通る関係で富士山が海側の車窓から見える。草薙駅は草薙神社の最寄り駅で、静岡県関係の施設(静岡県立大学、静岡県立美術館、静岡県立図書館、県草薙総合運動場)の玄関駅でもある。静岡鉄道の草薙駅も徒歩3分と至近である。東静岡駅は貨物操車場跡地の再開発商業地区に設置された駅であり、今後は静岡市の行政庁舎が移転する予定となっている。名勝・日本平と久能山東照宮や、静岡大学の玄関駅でもある。静岡車両区を北側に見て高架となりオフィスビル街が見えて来ると静岡県の県都で政令指定都市である静岡市の中心駅・静岡駅に着く。静岡駅は高架駅で、すぐ南側が東海道新干線のホームとなっている。地元の足である静岡鉄道の新静岡駅は当駅の北側徒歩7~8分のところに位置し、さらにその北側にある駿府城内には静岡県庁が、そして堀外西側には静岡市役所静岡庁舎・葵区役所があり、静岡庁舎・葵区役所を中心として両替町・呉服町などの繁華街が広がっている。静岡を出ると直ぐに安倍川を渡る。安倍川もちは静岡土産として有名であるが、旧東海道の安西橋(現・安倍川橋:東海道本線に並走する国道1号に架かる駿河大橋の一つ上流に見える旧国道1号に架かる橋梁)の「府中宿」側にある老舗「石部屋(せきべや)」では今も伝統の味を堪能できる。この橋の対岸の山間は「とろろ汁と麦飯」で有名な東海道「丸子宿(まりこじゅく)」である。この付近もそうだが、神奈川県湯河原~静岡県磐田付近にかけての低い山の緩斜面は大概茶畑や蜜柑畑になっている。安倍川、用宗を過ぎると長いトンネルを抜けて焼津に着く。この区間の海岸線は切り立った崖が続く景勝地で、かつては「東海の親不知」と呼ばれた難所「大崩海岸」である。元の東海道線はトンネルの間でこの海岸沿いに出ていたが、内陸に日本坂トンネルを掘って移設、その後の台風で護岸が旧トンネルの坑口もろとも崩壊し、海岸にその残骸が残っている。その日本坂トンネルも新干線に明け渡したために2つの旧トンネル(石部・磯浜)を崩壊した坑口を避けて内部で繋いで使用している。旧東海道や国道1号はこの海岸線を避けて山間に廻り宇津ノ谷峠を越す。西焼津から島田間は開けた平地を走り、SLの運行で知られる大井川鐵道の起点金谷の手前で「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」といわれた大井川を渡る。金谷から菊川にかけては茶所「牧之原台地」の山裾を縫って走り、袋井を過ぎた辺りから平地に出て、天竜川を渡ると「楽器の町」浜松に入る。浜名湖を渡る舞阪~新居町間では左右に湖水を見ながら走り、特に弁天島駅は浜名湖に浮かんだ島の上にある。この辺りは、東海道新干線開業前に東京駅と大阪駅を同時刻に発車した在来線特急「こだま」号がすれ違った場所といわれる。浜名湖を抜けると程なく愛知県に入り、東三河地区の中核都市である豊橋に到着する。
[编辑] 豐橋~米原
愛知県内に入ると広大な平野が続く。豊橋を出ると、飯田線を走る名鉄の列車をしばしば見かける。蒲县市内では穏やかな三河湾と渥美半島が見える。これ以西は海岸沿いを走らない。沿線には住宅地や田園地帯が広がる。岡崎駅を出ると、岡崎の市街地を通らず左に曲がり、矢作川を通る。その後はほとんど直進し、安城駅や刈谷駅を通る。刈谷駅を抜けると三大都市圏らしく途切れることなく工業地帯や住宅地の中を走る。大府駅を出ると名古屋の市街地に入る。大高駅から笠寺駅付近では東海道新干線と並走し、しばしば新干線の速さを眼にする。熱田駅付近から名鉄の複々線が並走し、東海地方はおろか、東海道本線でも珍しい、手動式の踏切が見られる。名古屋市の南のターミナル金山駅を出ると新干線や中央本線までもが並走し大ターミナルが近いことがよく分かる。この辺りから名古屋駅前に林立する超高層ビル群が目の前に迫り、名古屋高速の高架道路を潜ると世界一、背の高い駅ビルとしても知られる名古屋駅に到着する。
名古屋を出た列車は地下から出てきた名鉄線を見ることができ、名鉄線が分かれていくと庄内川を渡り、名古屋市域から抜ける。右手には東海道の貨物拠点である稲沢駅の線路群が見て取れ、高架を上りこんどは左手から名鉄線が寄り添うと尾張一宮駅である。その後も名鉄線としばらく併走し、やがて木曽川を渡る。この木曽川鉄橋はかつてC62型蒸気機関車が高速度試験で129km/hの記録を出したことで知られる。
再び高架を駆け上がり、大きく左曲がりをすると岐阜駅に着く。岐阜は斉藤道三と織田信長の居城、岐阜城(稲葉山城)と長良川の町であり、観光都市としても知られる。高い高架ホームからは岐阜城と金華山を眺めることができる。
岐阜と大垣の間は長良川と揖斐川の橋梁を渡りながら、濃尾平野をほぼ直線で貫く区間。揖斐川を渡り終え、樽見鉄道が張り付くと大垣である。
大垣は過去関ヶ原越え用補機機関車の基地として、その後は今に至るまで電車のねぐらとして、大きな役割を持っている。そんな大垣電車区を横目に見て進むと、南荒尾信号場を通過する。ここからは美濃赤坂への支線が分岐し、その支線上にある荒尾駅を見ることができる。美濃赤坂への電車は荒尾を過ぎると、工場の横を低速で走りやがて美濃赤坂駅に到着する。美濃赤坂駅からは貨物線の西濃鉄道が延びているので、終着駅という印象は薄い。
南荒尾信号場では山麓をまわる下り線ともともとの下り線である通称垂井線も分岐する。大垣から関ヶ原までは急勾配が続き、戦時中の輸送力増強の一環として勾配を緩和した下り線が別線として新設され、特急列車や貨物列車などは別線を利用する。この区間にはかつて、新垂井駅があり、下り列車しか停車しない駅として有名だったが、1986年に廃駅になっている。垂井停車の普通電車は旧下り線を進み、特急や貨物列車は山麓への下り線を進む。そして再び下り線が寄ってくると関ヶ原駅に着く。
ここから醒ヶ井間では真近に伊吹山の山肌が見える。この関ヶ原越えの区間は、東海道本線の中では線形が悪く、有数の豪雪地帯としても知られる。また、大垣~米原間は県境でもあり、また東海と関西の経済圏の境であるため、ローカルの流動は少なく、列車の本数が少ない。
伊吹山を背にしながら近江盆地の田園地帯に入ると、まもなくJR西日本区間との境界駅である米原駅に到着する。
[编辑] JR西日本區間
[编辑] 米原~京都
新干線や敦賀方面へ向かう北陸本線との乗り換え駅である米原は、かつて名古屋鉄道管理局の管内であったが、国鉄分割民営化時に一転しJR西日本の所属になった。駅北側にはかつての機関区跡地が電留線として広がり、南側には貨物列車用発着線や操車場跡地に新設されたJR総研の大型風洞施設を見ることができる。
米原からは琵琶湖線と呼称される区間である。かつては米原~彦根間で湖岸(松原内湖)を走っていたが今は内湖も埋め立てられてしまい、この先琵琶湖を見ることはできない。この米原~膳所間は東海道線の最後の開通区間である。1889年(明治22年)にこの区間が開通し、東海道線の直通列車が走ることになった。湖東平野の平坦地を走る曲線の少ない区間である。かつての井伊家の居城であった彦根城を望みながら彦根駅へ。かつては近江鉄道を介してセメントやビールの貨車受け渡しのあったところだ。宇曽川、愛知川と橋梁を繰り返し渡り、小さな腰越山トンネルをくぐると右手には織田信長の居城があったことで知られる安土山(安土城祉)を見ることができる。
近江八幡駅は八日市への近江鉄道も接続する拠点駅。住宅やマンションが駅周囲に広がり通勤通学客も多いが、また近江商人の街並みや船で行く水郷巡りなど休日にはハイキングを楽しむ人たちで賑わうところだ。
田園地帯に電車の車庫が見えると野洲駅。このあたりからは京都・大阪の通勤圏となり田園地帯の中に住宅が増えてくる。野洲を始発とする大阪方面への電車も多い。続く守山・栗東とも駅前にはマンション群が目に付く。そして草津線が張り付いてくると草津駅。琵琶湖線内でもっとも利用客の多いにぎやかな駅である。
草津からは1970年に完成した複々線区間を走る。琵琶湖の湖面を望める瀬田川橋梁を渡ると石山駅。同駅と次の膳所駅でも京阪石山坂本線に乗り換えができる。膳所はかつて一度大津駅と呼ばれたところで、機関区も置かれていたことがあった。逢坂山に備え線路は高い位置となり、車窓からわずかに琵琶湖を望むことができる。
大津という駅は過去何度か引っ越ししており、現在の大津駅は3代目になる。1921年完成の新逢坂山・東山トンネルを経由する現在の線路になって新設された駅である。駅の西にはすぐに新逢坂山トンネルがあり、トンネルを抜けると頭上に湖西線高架が見える。車窓からは府県境ははっきりわからないまま京都府の山科駅。山科は湖西線乗り換えのほか、京阪京津線、地下鉄東西線と連絡するターミナルでもある。山科から大きな築堤を進み、東山トンネルを抜けると、鴨川を渡り、京都駅に到着する。
[编辑] 京都~尼崎
京都站是擁有0號線~34號線(沒有15~29號,實際共20線)的月台編號,一個大型的終點站。不僅僅是京都觀光與往京阪神的通勤輸送據點,也是關西空港直通特急及往北近畿、北陸、山陰各觀光地特急起點的觀光據點站。於1997年完成具未來感全玻璃外牆的新大樓具有大終點站存在感的威容,車站周邊持續進行新大樓的開發。京都站是全部新干線列車的停車站,嵯峨野線與奈良線、私鐵的近鐵京都線、京都市營地下鐵也有駛入本站。
京都を発車すると間もなく右手に広い線路群が見えてくる。列車に近いところには梅小路貨物駅、遠いところには梅小路蒸気機関車館がある。梅小路蒸気機関車館はかつて東海道線・山陰線の蒸気機関車の一大基地であった梅小路機関区を母胎とし、蒸気機関車が現役で保存されている。時間が合えば東海道線の車窓からも蒸気機関車の煙を見ることができる。
桂川を渡り、向日町駅を通過すると今度は左手に大きな車両基地が見えてくる。京都総合運転所、以前の向日町運転所で、開設当時から山陽・山陰・北陸各線の優等列車の基地である。昔よりずいぶん減ったとはいえ、今も日中は寝台車が休んでいる姿を目にすることができる。
名神高速道路の大きな赤いトラス橋をくぐると阪急京都線が寄り添ってくる。かつて超特急つばめと阪急京都線の前身である新京阪線電車のデッドヒートで有名であったところだ。そして淀川に張り出す天王山の麓をまわる途中に山崎。この駅はホームに京都・大阪の府境が標示されている。
この山崎は古来から京と大坂の交通路の隘路であり、天王山と男山に挟まれた間を淀川が流れる狭い地形で、そのわずかの平地に東海道線・阪急京都線・東海道新干線・西国街道、淀川をはさみ京街道・京阪本線が寄り添う。明智光秀の軍隊を羽柴秀吉が打ち破った古戦場としても知られるところだ。また同駅周辺の曲線は東海道本線及び関西随一の列車撮影地としても鉄道愛好者からは知られている。
山崎の隘路を過ぎると、広い平野を快走する。大阪のベットタウンとして発展した高槻・茨木と列車は過ぎ、千里丘へと進む。ここから吹田まで車窓の右側には荒涼とした吹田操車場の跡地が、左手にはJR貨物吹田機関区・JR西日本吹田工場が並ぶほか、千里丘に近いところでは阪急電鉄正雀工場とアルナ工機があり、阪急の車両も見ることができる。
吹田の南で片町線鴫野へつながる城東貨物線をくぐり、神崎川を渡ると東淀川駅。戦前の弾丸列車計画では東淀川に新線駅が造られる予定だった。新干線は東淀川の南に新駅を設けて接続することになり、新大阪駅ができた。東淀川駅と次の新大阪駅は700mもない目と鼻の先で、向こうのホームの様子も見える。この短い700mの間にある踏み切りは8本の線路を跨いでおり、開かずの踏切として有名でもある。 新大阪駅は東海道本線、新干線のターミナル駅であり、山陰、和歌山、長野方面の特急が発着し地下鉄線とも接続する大阪の玄関口でもある。新大阪を起点とし、大阪東部を縦断する大阪外環状線も建設中である。新大阪の開設当時は周囲に田園が広がる風景だったが、今は大阪のビジネス街として発展している。
そして淀川を渡ると、HEPナビオの赤い大観覧車が左手に見え、大阪キタの中心、大阪梅田の大阪駅に着く。ここは駅名は各社で異なるが、阪神、阪急、大阪市営地下鉄各社が集まる一大ターミナルである。現在、大阪駅は、駅前再開発および、それに合わせた駅工事のため、そこかしこで工事中である。
京阪間のこの地区は、戦前から阪急、京阪とのスピード競争が熾烈であり、元は京阪の路線だった阪急京都線とは、今も競争するかのように併走して走る姿が見られる。JR京都線は阪急・京阪、JR神戸線は阪急・阪神と、京都から東海道本線の終点まで私鉄との争いが続く。JRが新快速を投入したことでスピード面での競争は終わった感はあるが、サービス面やダイヤ調整での熾烈な客獲得競争は今もなお続いている。この私鉄との価格競争のため、京阪神の東海道本線区間では特別割引運賃が採用されているほか、平日の昼間と土休日の終日において利用可能な割引回数券が発売されている(アーバンネットワークも参照)。
大阪駅を過ぎて淀川を再び渡り、塚本駅を過ぎて神崎川を再び渡ると兵庫県に入る。
[编辑] 尼崎~神戸
尼崎駅からは完全に兵庫県である。尼崎駅は福知山線(JR宝塚線)、JR東西線が分岐するターミナル駅で新快速や福知山線(JR宝塚線)の特急列車が停車する。ここから芦屋辺りまでは、再びベッドタウンや住宅地が広がる中を走ることになる。尼崎駅を過ぎると次は立花駅である。立花駅は尼崎市役所の最寄り駅。利用者は、各駅停車のみが停まるJR西日本の駅の中で最多。同駅を過ぎると甲子園口駅があるが、甲子園球場は阪神電車の甲子園駅のほうが近いので、最寄り駅とはいい難い。なお、この辺りから大阪梅田でばらけていた阪急神戸線、阪神本線の線路が次第に近づき、三社並走の競争区間が再び始まる。北から順に阪急神戸線、JR神戸線、阪神本線の並びである。
甲子園口の次は西ノ宮駅に入る。阪急電車の大ターミナル駅西宮北口駅と同じ西宮市であるが、そちらとは離れている。列車は住宅街の中を快走し、続いて芦屋駅が見える。芦屋地区は戦前から関西の超高級住宅地として有名であり、駅前を抜けて一歩郊外に出ると大邸宅も立ち並ぶ。そして、西ノ宮以西は1995年の阪神・淡路大震災で大規模かつ深刻な被害を受けた地域でもあり、傷跡は今でも癒えてはいない。 芦屋~三ノ宮~神戸間では北に、天然水やハイキングの場として有名な六甲山がそびえる。標高は900m程度だが、山が鉄路に迫っているので、車窓からは案外険しく見える。芦屋川を抜けると、六甲ライナーと連絡する住吉駅。難関校として知られる、灘高等学校の最寄り駅でもある。芦屋を出ると、倒壊という大きな被害を受けながらも再建した六甲道駅、灘駅を過ぎ、列車は兵庫神戸地区の中心都市、三ノ宮駅、元町駅へ入る。
三ノ宮駅は、阪急、阪神電車の中心駅でもあり、駅同士の間隔は最接近している。そのため、駅前地区は大阪からここまでのJR神戸線では、最大の賑わいである。神戸高速鉄道、ポートライナー、市営地下鉄のターミナル駅でもあるが、元町・三宮地区は鉄道中心駅としての顔以外に、神戸港、神戸空港と繋がる世界の港町としての顔もある。海沿いには神戸ポートタワー、神戸海洋博物館があり、港の風景の一角をなしている。街の北側には異人館で知られる旧外国人居留区が現存し、文明開化当時の息吹が感じられる。元町駅の高架下には元町高架下商店街があり、買い付けに来る外国船員の姿も見られ、華僑の町であった南京町は、横浜、長崎と並ぶ日本三大中華街のひとつである。
元町を過ぎ、次は東海道本線の終端駅、神戸駅。神戸駅は、神戸地区の中心駅ではあるが、メインターミナルとしての機能や賑わいは三ノ宮駅に一歩譲る。ただ、神戸ハーバーランド、神戸ルミナリエ会場の最寄り駅として開発が進み、新快速も停車するようになった。なお、山陽新干線と連絡する新神戸駅は、神戸駅からではなく、手前の三ノ宮駅から神戸市営地下鉄西神・山手線に乗り換える必要がある。
京都方面からの列車はそのまま先の西明石駅、姫路駅まで運行されるものが多いが、神戸駅以西は山陽本線区間であり、東海道本線としての区間はここで終わる。
[编辑] 運行方式
在東海道新干線開業之後,主要都傾向於重視地區運送,全線通行運轉的列車多半是夜行列車。列車運轉的現況見以下敘述。
[编辑] 地區輸送
全線行駛通過東海道腰帶地帶,在各地區設有頻繁運行的地區列車,特別是東京站~熱海站、浜松站~大垣站、米原站~神戸站~姫路站(※神戸站~姫路站間屬山陽本線)各區間是涵蓋東京、名古屋、大阪等大都市圏的各公司重點路線之所在(東京站~熱海站是湘南電車、經過新宿直通高崎線列車是湘南新宿線、米原站~京都站是琵琶湖線、京都站~大阪站是JR京都線、大阪站~神戸站是JR神戸線,請參閱各線之條目)。
在這之中,静岡地區與名古屋地區等區域,沒有進行雙複線化的近郊區間専用線建設以便分離旅客與貨物,長年都以貨物列車與長距離列車優先,造成地區輸送列車運行上很大的制約。但是從1980年代以後,隨著鐵道貨物運送的減少,使近距離旅客列車得以大量增加班次。
現在,在這些區間內實施著高頻率的地區運送。靜岡地區内的快速列車有平日早晚在三島~浜松間運轉的「ホームライナー」、夜行快速「ムーンライトながら」。一部份的列車沒有廁所(113系・115系中的一部份、211系5000・6000番台全部編成),接續的形式在熱海站~豐橋站間也有全部沒有廁所的情形,地方的顧客有很多抱怨,因此,JR東海在2007年春季以前會將沒有廁所的113系編成,在靜岡地區計畫導入各編成皆有廁所的313系。
京都站~神戸站間有阪急電鐵、京阪電氣鐵道、阪神電氣鐵道等強力的競爭者,為了與其對抗,運行以具有高速運轉與容易瞭解的時刻表等特點之新快速(可直通至一部分北陸本線、湖西線、山陽本線),在2005年JR福知山線脱軌事故發生以來,開始由重視速度朝向重視安全性方向調整。
在以名古屋站為中心的中部地方中有開行新快速與特別快速。新快速在豐橋~浜松間與岐阜~米原間是各站停車,名古屋~浜松間約105km以1時間15~20分連結、岡崎~豐橋間的快速・新快速通過站在日間以普通列車每30分鐘的間隔運行。
[编辑] 東京圏~北關東間的鐵道需求
2000年、日本運輸省(現國土交通省)針對全國各都道府縣,進行該年度都道府縣間鐵道流動量的調査。在關東地方的調査結果中可以得知,在現在湘南新宿線行走區間中東京圏東京圏~北關東間的鐵道需求非常高。因為此背景因素,2002年湘南新宿線開業,此外今後東北縱貫線計畫也即將實現。
東京圏與北關東各線間的鐵道旅客流動狀況(2000年)如下表。
-
- 各都縣間鐵道旅客流動状況(2000年)
出發地\目的地 | 栃木縣 | 群馬縣 | 茨城縣 | 合計 | - |
埼玉縣 | 642 | 471 | 187 | 1,300 | - |
東京都 | 3,075 | 1,869 | 1,903 | 6,847 | - |
神奈川縣 | 765 | 243 | 468 | 1,476 | - |
千葉縣 | 336 | 292 | 218 | 846 | - |
合計 | 4,818 | 2,875 | 2,776 | - | - |
出發地\目的地 | 埼玉縣 | 東京都 | 神奈川縣 | 千葉縣 | 合計 |
栃木縣 | 1,252 | 2,963 | 939 | 595 | 5,749 |
群馬縣 | 935 | 2,027 | 415 | 485 | 3,862 |
茨城縣 | 172 | 1,695 | 477 | 255 | 2,599 |
合計 | 2,359 | 6,685 | 1,831 | 1,335 | - |
- (單位:千人/年)
[编辑] 使用車輛
東海道本線普通列車(包含快速列車)使用之車輛如下述。
- JR東日本
- JR東海
- 普通列車・快速列車
- 113系電車
- 115系電車
- 117系電車
- 211系電車
- 311系電車
- 313系電車
- キハ75形気動車(武豐線直通列車)
- 373系電車(夜行快速「ムーンライトながら」・普通列車)
- ホームライナー
- 371系電車(靜岡周邊地區)
- 373系電車(名古屋周邊地區)
- キハ85系気動車(名古屋周邊地區)
- 683系電車(名古屋周邊地區)
- 普通列車・快速列車
- JR西日本
[编辑] 優等列車
東海道線は都市と都市とを結ぶ日本屈指の路線であるため、昼行列車では部分的に列車が乗り入れ、他路線へ直通するケースが多い。
[编辑] 晝行列車
1964年に開業した東海道新干線に都市間連絡鉄道としての機能をほぼ完全に譲っており、現在全線を通して運転する昼行優等列車(特急・急行)は設定されていない。しかし、東海道新干線の線形などの関係でその恩恵に浴することのできない区間の利用に供するためや、支線区への直通運転のため、一部区間を運転する優等列車は、少なからず存在する。
各列車の東海道本線内の走行区間と使用車両は以下の通り。括弧内は他線直通区間。駅は東海道本線走行区間の端の駅と始発・終着駅。各列車の詳細については当該列車の記事を参照していただきたい。
- 踊り子:185系電車
- 東京駅・新宿駅~熱海駅~(伊東線~伊豆急行線伊豆急下田駅)・三島駅~(伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅)
- スーパービュー踊り子:251系電車
- リゾート踊り子・フルール踊り子:伊豆急行2100系電車
- 東京駅・新宿駅・池袋駅・大宮駅~熱海駅~(伊東線~伊豆急行線伊豆急下田駅)
- (ワイドビュー)東海:373系電車
- 東京駅~静岡駅間
- (ワイドビュー)ふじかわ:373系電車
- 静岡駅~富士駅~(身延線甲府駅)
- (ワイドビュー)しなの:383系電車
- 大阪駅~名古屋駅~(中央本線~篠ノ井線~信越本線長野駅)
- (ワイドビュー)ひだ:キハ85系気動車
- 名古屋駅・大阪駅~岐阜駅~(高山本線高山駅・飛騨古川駅・富山駅)
- しらさぎ:683系電車
- 名古屋駅~米原駅~(北陸本線金沢駅・富山駅・泊駅・和倉温泉駅)
- 雷鳥:485系
- サンダーバード:681系・683系電車
- 大阪駅~山科駅~(湖西線~北陸本線金沢駅・富山駅・泊駅・魚津駅・和倉温泉駅)
- はるか:281系電車
- 米原駅~新大阪駅~(大阪環状線~阪和線~関西空港線関西空港駅)
- びわこエクスプレス:681系・683系電車
- 米原駅~大阪駅
- くろしお・スーパーくろしお:381系電車
- オーシャンアロー:283系電車
- 京都駅~新大阪駅~(大阪環状線~阪和線和歌山駅~紀勢本線紀伊田辺駅・白浜駅・新宮駅)
- 北近畿:183系電車
- 新大阪駅~大阪駅~尼崎駅~(福知山線福知山駅~山陰本線豊岡駅・城崎温泉駅)
- 文殊:183系電車
- 新大阪駅~大阪駅~尼崎駅~(福知山線~北近畿タンゴ鉄道宮福線~宮津線宮津駅・久美浜駅)
- タンゴエクスプローラー:北近畿タンゴ鉄道KTR8000形気動車
- 新大阪駅~大阪駅~尼崎駅~(福知山線~北近畿タンゴ鉄道宮福線~宮津線宮津駅・久美浜駅)
- はまかぜ:キハ181系気動車
- 大阪駅~神戸駅~(山陽本線~播但線~山陰本線香住駅・浜坂駅・鳥取駅)
- スーパーはくと:智頭急行HOT7000系気動車
- 京都駅~大阪駅~神戸駅~(山陽本線~智頭急行智頭線~因美線鳥取駅~山陰本線倉吉駅)
[编辑] 夜行列車
九州、山陰、山陽、四国方面への直通運転のため、東海道本線を全線通して運転する列車が設定されているが、ダイヤ改正の度に縮小傾向が続いている。2006年3月18日改正時点において定期で全区間を通して運転中の列車は次の通り。
- はやぶさ:14系15形客車
- 東京駅~神戸駅(通過)~(山陽本線・鹿児島本線直通 ~熊本駅間)(東京駅~門司駅間は「富士」と併結)
- 富士:14系15形客車
- 東京駅~神戸駅(通過)~(山陽本線・鹿児島本線・日豊本線直通 ~大分駅間)(東京駅~門司駅間は「はやぶさ」と併結)
- サンライズ瀬戸:285系電車
- 東京駅~神戸駅(通過)~(山陽本線・瀬戸大橋線・予讃線直通 ~高松駅・松山駅間)(東京駅~岡山駅間は、「サンライズ出雲」と併結)
- サンライズ出雲:285系電車
- 東京駅~神戸駅(通過)~(山陽本線・伯備線直通 ~出雲市駅間)(東京駅~岡山駅間は、「サンライズ瀬戸」と併結)
昼行列車と同様、一部区間を運転する列車としては、
- 銀河:24系25形客車
- 東京駅~大阪駅間(急行列車)
- なは:24系25形客車
- 京都駅~神戸駅~(山陽本線・鹿児島本線直通 ~熊本駅)(京都駅~鳥栖駅間は「あかつき」と併結
- あかつき:14系15形客車
- 京都駅~神戸駅~(山陽本線・鹿児島本線、長崎本線直通 ~長崎駅)(京都駅~鳥栖駅間は「なは」と併結)
- 日本海:24系客車
- 大阪駅~山科駅~(湖西線~日本海縦貫線直通 ~青森駅)
- (トワイライトエクスプレス):24系25形客車
※臨時列車扱いであるが、定例的に週4便運行されている。- 大阪駅~山科駅~(湖西線~日本海縦貫線直通 ~札幌駅)
- きたぐに:583系電車
- 大阪駅~米原駅~(北陸本線直通~新潟駅)(急行列車)
また、優等列車でないが、快速列車として、東京駅~大垣駅間の「ムーンライトながら」(373系電車使用)がある。
[编辑] 歷史
[编辑] 開業與延伸的歷史
東海道本線延伸的歷史可以說就象徵著日本初期鐵道的歷史。
最早的路段是在新橋站~横浜站間以及神戸站~京都站間,象徵著都市的文化,之後開始有興建連結關東與關西的計畫產生。当初予定されていた中山道ルートから東海道ルートに変更されると、一大プロジェクトとなり、一気に建設が進んでいった。
最初の頃は、「宿場にお客が来なくなる」「汽車が火事を起こす」などと宿場から反対されたと言われ、市街地に用地を取得できず多くのルートが郊外に建設されたため、宿場から離れた地点に設けられた駅が多かった(鉄道忌避伝説。ただし、昨今ではこれを疑問視する声も強い)。鉄道の利便性が認知されると、街の機能が駅の方へと移っていき、駅と旧市街地との間を結ぶ鉄道も盛んに敷設された。
最初に敷設された路線は、伊豆・箱根、伊吹山、逢坂山という交通の難所において、ルートが異なる。後にトンネルが新たに造られるなど線形改良が行われ、現在のルートになった。
2001年には、新宿駅を経由して高崎線との直通運転を開始した(湘南新宿ライン)。
2011年に予定されている東北本線列車線の延伸(東北縦貫線計画)が完成し、東京駅を介して宇都宮線・高崎線・常磐線との相互直通運転が開始されると東海道本線内の運行形態の更なる変化も予想される。
[编辑] 各站資料與連接路線
[编辑] 另見
美濃赤坂支線:大垣 - 荒尾 - 美濃赤坂