はしだのりひこ
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はしだのりひこ(端田宣彦、1945年1月7日 - )は、京都府京都市生まれのシンガーソングライター(フォークシンガー)である。同志社香里高等学校、同志社大学卒。1967年にドゥーデー・ランブラーズの一員としてデビューした後、北山修に請われて1968年にザ・フォーク・クルセダーズの一員として参加する。フォーク・クルセダーズが1968年10月に解散した後、「はしだのりひことシューベルツ」や「はしだのりひことクライマックス」「はしだのりひことエンドレス」のリーダーを務め、ソロに転向。
- ザ・フォーク・クルセダーズの一員として「端田宣彦」が作曲した歌には『何のために』(作詞・北山修)がある。(フォーク・クルセダーズの代表曲『帰って来たヨッパライ』には、はしだは参加していない。彼のフォークル加入以前に制作された曲であるため。ただしステージでは彼の持ち歌となっていた)
- 「はしだのりひことシューベルツ」の名前では『風』(1969年)が最大のヒット作品。この名前ではかなりの作品数を発表した。杉田二郎がリードヴォーカルを取る場合もあった。他に『さすらい人の子守唄』「白い鳥にのって」など。
- 「はしだのりひことシューベルツ」は、メンバーの井上博(ベース)の逝去により解散。
- 「シューベルツ」とは“Shoe Belts”(靴のひも)の意味である。
- その後、少女たちを従えた「はしだのりひことマーガレッツ」を結成し、中津川フォークジャンボリーで演奏。テレビ出演を果たしたりしたが、レコードの発表には至っていない。
- 「はしだのりひことクライマックス」としては1971年に『花嫁』(作詞・北山修)がヒットした。しかし当初、作曲クレジットが「端田宣彦」とされ、後に「公式」には「端田宣彦、坂庭省悟」とされた。このことは後々、トラブルのもととなった。この年の第22回NHK紅白歌合戦にも出演。
- 「はしだのりひことエンドレス」としては「嫁ぐ日」が水平ヒットとなる。TV番組「凡児の娘をよろしく」のテーマとして長く愛された。(「エンドレス」でリードヴォーカルを務めた林竹洋子は現在、柏村武昭夫人である。柏村と林竹はRCCラジオのサテライトNo.1で共演していた。また、現在作曲家として活動している和泉常寛も在籍していた)しかし、大ヒットのないまま、解散を迎え、これをもってメジャーレーベルとの契約は終了。
- その後は「主夫」としての社会的活動が注目を浴びたこともある。
- フォークルファミリーとは長らく没交渉に近いが2001年にインディーズから出したミニアルバムのライナーには北山修が寄稿している。
著書に、『親父たたかう』『おとうさんゴハンまーだ』『自然とおしゃべり』などのエッセイがある。
[編集] はしだのりひこを演じた俳優
- 江藤潤:映画『風のあるぺじお』