柏村武昭
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柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年1月1日 - )は、自由民主党所属の元参議院議員、タレント。広島県三次市生まれ。「木へんにホワイト、柏村武昭です」のキャッチフレーズで知られている。夫人は、元「はしだのりひことエンドレス」のヴォーカルでサテライトNo.1でアシスタントをしていた広島ローカルタレント・林竹洋子。
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[編集] 略歴
広島県立三次高等学校を経て、早稲田大学第一文学部演劇学科に在学中、当時露木茂(のちフジテレビアナ)が会長だったアナウンス研究会に所属。大学卒業後、1966年4月に中国放送(RCC)にアナウンサーとして入社した。
1975年、「飛び出せ!全国DJ諸君」(地方民間放送共同制作協議会制作)の人気投票で上位になり、ニッポン放送系オールナイトニッポンのパーソナリティを半年間務めた。これをきっかけに同年8月RCCを退社。TBSテレビのクイズ番組「あいうえゲーム 7つの文字」(同年10月 - 1976年3月)を皮切りにフリー活動を開始し、「クイズ!家族ドレミファ大賞」(クイズ・ドレミファドン!の前身)(フジテレビ)の司会者もつとめた。若い頃は自ら中条きよしに似ていると連発していた。
代表的な番組としてはRCC局アナ時代からの「サテライトNo.1」や、フリーになってからの「お笑いマンガ道場」(中京テレビ放送)、「柏村武昭のテレビ宣言」(広島テレビ放送)などがある。「お笑いマンガ道場」の司会は全国数局のネットがあった為か、子供が見ていることも考えてか、割と大人し目だったが、広島ローカルの「サテライトNo.1」や、「柏村武昭のテレビ宣言」などでは辛辣な物言いで知られ好き嫌いが分かれた。特に「柏村武昭のテレビ宣言」では、視聴者からの社会生活の不満・不正を大きく取り上げ絶大な人気を得て、ローカル番組としては異様な高視聴率を記録。この番組の成功で各地に亜流番組を生んだ。
RCC退社後、土居まさるの個人事務所オフィスクルーに所属していた時の裏話に、土居まさると「象印クイズ ヒントでピント」と「お笑いマンガ道場」のどちらを取るかを話し合い、土居が「ヒントでピント」を取ったために柏村が「お笑いマンガ道場」を取ったという話がある。
2001年7月の参議院議員通常選挙に広島県選挙区から無所属で立候補したが、当選後の2001年10月自由民主党に入党し、現在志帥会(伊吹派)に所属している。
2005年8月8日郵政民営化法案の参議院本会議では反対票を投じた。防衛庁長官政務官だったがこのため罷免された。
2007年4月8日に実施の広島市長選挙に、自民党の推薦を受け出馬するも落選。
[編集] 発言録
2004年4月26日に柏村武昭は参議院決算委員会でイラク日本人人質事件の人質救出に関する支出について、「人質の中には自衛隊イラク派遣に公然と反対していた人もいるらしいと。もし仮にそうだとしたら、反政府、反日的分子のために血税を用いるのは、強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と発言した。自由民主党の福田康夫官房長官・民主党の野田佳彦民主党国会対策委員長は4月27日この発言を批判した。これについて柏村は4月28日テレビ朝日系『スーパーモーニング』に出演し「日本の方針に反する人たちのことを言った」と反論している。同じ4月26日の委員会では他にも「中国なんかはろくな裁判もない」「中国に人権はない」と述べて一部親中派から批判を浴びたため、委員長にこの発言の訂正を申し出ている。また、発言中、「反日的」の部分は国会会議録から削除された。
[編集] 核武装に反対表明
2007年3月16日の広島市長選挙討論会で「親戚縁者被爆している。平和でなきゃいけないのは当たり前。広島の市民は世界に平和を発信する恒久的な義務を負っている。しかしながら近隣諸国に常識はずれの国が出てきた場合テポドンが飛んできた場合に我々の生命財産がどうなる?それへの備えを考えねばいけない。平和を発信しなけりゃいけない。世界から核を無くさなければいけない。一生懸命頑張るが同時に座して死を待つ状態はいけない。核保有は広島市民である以上、議論もしてはいけない」と表明した。
[編集] 年譜
- 1944年(昭和19年)1月1日 - 広島県三次市に生まれる
- 1966年(昭和41年)3月 - 早稲田大学第一文学部演劇学科卒業
- 1966年(昭和41年)3月 - 中国放送に入社
- 1972年(昭和47年)5月 - サテライトNo.1放送開始
- 1975年(昭和50年)4月 - オールナイトニッポンのパーソナリティを担当
- 1975年(昭和50年)8月 - 中国放送を退社
- 1978年(昭和53年)4月 - 中京テレビ、お笑いマンガ道場の司会に就任
- 1983年(昭和58年) - 株式会社ホワイトを設立、代表取締役に就任
- 1988年(昭和63年)3月 - サテライトNo.1終了(その後1995~1996年に復活)
- 1993年(平成5年)4月 - 広島テレビ、柏村武昭のテレビ宣言 のキャスターに就任
- 1994年(平成6年)3月 - 中京テレビ、お笑いマンガ道場終了
- 2001年(平成13年)3月 - 「柏村武昭のテレビ宣言」のキャスターを降板
- 2001年(平成13年)7月 - 参議院議員選挙に無所属で出馬、無党派を掲げて当選
- 2001年(平成13年)10月 - 自民党に入党
- 2004年(平成16年)9月 - 防衛庁長官政務官就任
- 2005年(平成17年)8月 - 防衛庁長官政務官罷免(郵政民営化法案反対のため)
- 2006年(平成18年)10月 - 参議院防衛外交委員長就任
- 2007年(平成19年)- 3月、参議院議員を辞し広島市長選挙へ出馬するも、4月8日の選挙で落選