ぷちナショナリズム
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ぷちナショナリズム は、精神科医で評論家の香山リカが提唱した概念で、2000年代の日本人若年層にみられる、屈託のない、平然とした日本至上主義ないし国家主義を指す。「ぷちなしょ」「ぷちナショ」とも略称される。
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[編集] 特色
日本における旧来の国家主義は、三島由紀夫のような深刻さや街宣右翼に典型的な威圧感と結びついていた。左翼もまたマルクス主義を掲げ彼らと対決しつつ、(彼らの言う)「米帝」(アメリカ合衆国の帝国主義ないし、帝国主義的なアメリカ合衆国)への従属から離れ民族自決を求める方向を示していた。
ところが、若年層の国家主義的発言、愛国行動はこのような深刻さを持っていないように見える。よってこれは旧来の国家主義とは異なるものであると考え、香山はこれをぷちナショナリズムと呼んだ。「ぷち」はフランス語の petit (小さな)である。
[編集] 背景
香山はぷちナショナリズムの背景について、若年層の中で、分裂と解離による「切り離し」が日常化したことを指摘している。二世芸能人や相撲界二世の親父と仲良しである旨の発言、尾崎豊の詩に対する共感の消失を例に挙げ、若年層の中ではエディプス・コンプレックスが表面化していないことを示し、これは対立が解消したのではなく、単に本人の自我から切り離され、隠蔽されているのだとする。以前から日本には天皇制と菊タブーに典型的に見られる、疑似家族制およびそれへの反感を表明することへの恐れがあり、これが右翼および左翼の深刻な表現を生んでいた。ところが、若年層はその恐怖を「切り離し」、歴史的背景や国際関係などを捨象しているため、明るく平然と国家主義的言動を行うことができる。この「切り離し」は、鏡像的同一化(多数派を参照することで自己を確認すること)していかざるを得ない現代社会で明るく振る舞うためには必須の技術である。
[編集] 危険性
ぷちナショナリズムは、「日本人であること」を唯一の緩い紐帯として、問題に直接対決することを避けることで成立している。ここには二つの問題がある。一つは、「切り離し」がもたらす自我の分裂により、自らの国家主義的言動が本当に自分の欲しているものなのか、あるいは沈黙の螺旋によって他動的に形成されたものなのか、内省を欠いている点である。もう一つは、日本社会の階層が固定化していく過程において、没落しつつある中間層および下層国民の中で、ぷちナショナリズムが偏狭な排他主義的国家主義に尖鋭化する可能性である(先の二世芸能人等に対する反感の隠蔽が、階層の固定化を促進する点についても論じている)。
[編集] 批判
香山がぷちナショナリズムの原因を若年層の精神的変化に求めたのに対して、高原基彰は『不安型ナショナリズムの時代』の中で、近年の日本における若年層には明確な右傾化がみられ、これは経済的な変化に伴う国民の不安の転化であるとしている。
高原によると、ぷちナショナリズムと類似の「趣味化したナショナリズム」は極東三国(日本、大韓民国、中華人民共和国)に共通してみられるものであり、これは全地球規模で進行しているネオ・リベラリズムによって安定した社会構造が崩壊した結果生じた国民の不安を解消する手っ取り早い手段として、非難を行っても社会的制裁を受けにくい国が攻撃の対象として利用されている。そのため、ぷちナショナリストの国家主義的言動は直接本人が引き受けるほどの思想的・個人的背景をもたず、特定のメディアやインターネットコミュニティの意見を繰り返すだけにとどまっているという。
両者の間には時代的開きがあり、香山は屈託ない「ニッポン万歳」的傾向、高原はインターネットに特によく見られる嫌韓・嫌中的雰囲気に注目するなど、若干観点が異なる。高原によると日本の趣味化したナショナリズムでは、高度経済成長の記憶と、世代間の反目の投影も見られ、事態が複雑化しているという。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 香山リカ『ぷちナショナリズム症候群 - 若者たちのニッポン主義』(2002) 中央公論社 ISBN 4-12-150062-8
- 高原基彰『不安型ナショナリズムの時代 - 日中韓のネット世代が憎みあう本当の理由』(2006) 洋泉社 ISBN 4-86248-019-5