左翼
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左翼(さよく)・左派(さは)とは、政治思想・政治勢力を大きく二分した場合における革新(対義語は保守)側のことである。右翼と対立する。社会主義・共産主義・アナキズムから20世紀以降は市場原理を認める穏健な社会民主主義まで、幅広い勢力を指す語として用いられる。社会主義や共産主義、社会民主主義は赤、アナキズムは黒で表されることが多い。
穏健な左派(社会民主主義や第三の道など)は中道左派やリベラルと呼ばれる。北米では左派のことをリベラルと呼ぶのが一般的である。
語源はフランス革命第一期の国民議会で、議長席から見て左側に主に非特権階級である第三身分(商工業者・労働者など)の意思を代弁する共和派が席を占めた事に由来する。
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概説
初期
フランス革命第二期では右翼のフイヤン派が没落し、今まで左翼の支配的となる。しかし、政策を巡って再び左右で割り、新しい軸が生まれる。そして右側には穏健派のジロンド派が座り、左側には過激派のジャコバン派が座ることとなった。
1793年には左翼のジャコバン派が国民公会からジロンド派を追放し、世界初の一党独裁制を確立する。しかし、ジャコバン派は新興資本家寄りのダントン派と労働者層寄りのエベール派に分裂する。ロベスピエールは両者を粛清して、恐怖政治を強めた。1794年にはテルミドールの反動が起き、ジャコバン派が次々と投獄・処刑される(当時はジャコバン派の熱烈な支持者だったナポレオン・ボナパルトもこれに含まれた)。このクーデターによって王党派が復活し、左翼は一時衰退する。
1871年には史上初の社会主義政権であるパリ・コミューンが成立した。
20世紀
20世紀は専ら大学教員などの知識人が左翼の大衆運動を指揮し、欧州やアジアではマルクス主義が台頭した。また、欧州では同時に穏健派の社会民主主義も勢力を増大させた。絶対王政が続くロシアでの革命は成功したが、レーニン死後は世界革命論のトロツキーが失脚させられ、一国社会主義論のスターリンが権力を掌握した。スターリンの独裁体制はマルクス・レーニン主義から欧州の知識人も離反していった。それゆえ、西欧の共産党や急進左派は反ソ連・反スターリンの傾向を強め、ユーロコミュニズムを提唱していくことになった。
また、人によっては国際主義を左翼と見ることもあり、右翼と呼ばれる勢力から国家主権の喪失・伝統的文化の破壊・道徳の堕落・移民労働者の輸入の思想として敵視されるグローバリゼーションに代表されるグローバリズムが左翼とされることがある。実際にグローバリストの中には中道左派を自称したり(例:ローレンス・サマーズ)、アメリカのクリントン政権や韓国の盧武鉉政権(左派新自由主義を自称している)、イスラエルのオルメルト政権、ハンガリーのホルン政権、チリのリカルド・ラゴス政権、ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ政権などに代表される中道左派もしくは左派を自称する政権は新自由主義・市場原理主義の立場である。その根拠として一連の思想の疑似国際主義・革新的側面が左翼と通底することが挙げられている。新自由主義に敵対的な左翼からも反グローバリゼーションではなく、"Global Justice Movement" 、"Movement of Movements"などのスローガンや「下からのグローバリゼーション」といったコンセプトが提唱されている。時には政府批判さえ辞さず過激な行動を取る例もあることなどから一部の国際環境保護団体も政治的極左として扱われる例もある。
しかし、21世紀になって二通りのグローバリストが中道右派・中道左派として認識されるに従って、中道とは離れた左翼勢力が対抗軸をナショナリズムに見出すことが増えてきている。過去にも国内の対立を利用して政党や国家への帰属意識を高めるために左翼勢力はナショナリズムを利用することがあった。このようなナショナリズムは左翼ナショナリズムと呼ばれている。
市場原理を認める穏健左派などと呼ばれるリベラリズム・社会民主主義は欧州(特にフランス・ドイツ・北欧など)において福祉国家を建設した。資本側と労働者側が話し合いで協調し(コーポラティズム)により、世界トップレベルの経済力を誇るなど成功を収め、最近では第三の道を主唱している。
共産党・コミンテルン主導の革命で成立した共産主義国はスターリン以降のソ連や中国の様に全体主義に転じてしまうことが多い。しかし、この左翼の特徴はフランス革命からあり、そもそもフランスという右翼・左翼の発祥の地で初めて独裁政治を始めたのは他ならぬ左翼である。また、この比較にドイツのナチスが出されることがあるが、精緻な体系を持たないナチスは共産主義の組織から宣伝まで模倣[1]しているので、似ていて然るべきである(ファシズムを参照)。現在の中国などは共産党独裁下で市場経済を導入しているが、マルクス主義とは矛盾しない[2]形で経済発展を進めている。中国共産党が採っている成長路線は史的唯物論に依拠しており、その究極地点こそが共産主義だと認識されている。現に1987年に中国共産党は現在の状態を生産力が低い初期段階に規定している。つまり、共産主義の条件を準備するべく、先進国で観測された資本主義の過程を体制内で再現して近代化を達成することを当面の課題にしている。一連の徹底した史的唯物論は日本のマルクス主義者の主張にも見られる(例:大西広)。中国共産党はその支配の正当性をイデオロギーと経済発展に求めているのが特徴である。例えば3つの代表は共産党を職業革命家から執政党に進化させるマルクス・レーニン主義の政治哲学の流れを汲むイデオロギーだが、党組織と労働者組織の分離によって企業の利害を代表することも可能にする。
急進派
左翼の中でも極端に急進的な変革・革命を求めるものは極左と呼ばれるが、中央集権的なスターリン主義者や共産党と、リベラルで権力を否定する新左翼・トロツキスト・アナキストでは考え方が全く異なる。
日本の左翼
日本における主要な左翼政党は日本共産党と旧日本社会党と社民党が挙げられる。しかし、これらは社会主義・共産主義的なプロレタリアート革命を、暴力革命ではなく、投票行動による議会制民主主義の枠内で成し遂げるという目標を掲げており、新左翼の側からは既成左翼、旧左翼と呼ばれて批判された。
なお日本において左翼政権が誕生したことはないが、例外的に1947年の片山内閣(社会・民主・国民協同党による連立)、1994年の村山内閣(自民・社会・さきがけ)の2度において、社会党出身の首班が誕生したことがある。しかしいずれも保守・中道政党との連立であり、社会主義的な政策を満足に行えないまま短命に終わった。
政治思想
日本の旧左翼は積極的に平和主義を理想として掲げるものが多いことが特徴であり、その目標の為に日本国憲法第9条の改正を阻止する護憲を唱えている。但し、憲法制定後しばらくは日本共産党などはむしろ九条改正志向だった。旧来は天皇制にも批判的な場合が多かったが、近年では天皇制には無関心か、民主化した上で存在を認める左翼が多くなっている。また平和主義についても、日米安全保障条約や在日米軍問題を中心にアメリカ合衆国(米国)の政策に対して批判的な立場に立つことが多い。
また理想としての平和主義から日本社会党は非武装中立主義を掲げ自衛隊にも反対の立場であったが、近年では災害時の自衛隊の活躍や北朝鮮のミサイル発射や中国の軍事大国化、韓国の軍事力を背景とした竹島実効支配などの現実を踏まえ日本共産党など一部の左翼は容認する傾向にある。
これに対して新左翼は、反スターリン主義の立場からソ連、中国など独裁的な共産主義国に対しては資本主義の大本山アメリカに対するのと同様に否定的であり、また反戦平和主義ではなく戦闘的左翼を主張した。そのため、同じ反共・反米勢力として天皇主義を掲げる新右翼・民族派との共闘も見られた。護憲派ではなく革命的改憲派でもある。
歴史認識
歴史認識問題等では、過去の太平洋戦争における自衛戦争としての側面や大東亜共栄圏・欧米植民地主義からのアジア解放としての側面を全面的に否定し侵略戦争であるとし、日清戦争・日露戦争も侵略戦争と位置づける者もいる。しかし、大東亜共栄圏の構想や欧米植民地主義からのアジア解放といった理念には尾崎秀実・西園寺公一らスパイや風見章・勝間田清一・笠信太郎ら戦後を代表する左翼が属した昭和研究会が関わっている。
南京大虐殺や従軍慰安婦の強制連行などについても、日本側の加害責任を追及する論調が多く、東京裁判を「戦勝国による一方的な裁判であり国際法上問題あり」とする見方についても「戦争犯罪を免責するもの」として否定する場合が多い。
一般的に戦前の帝国主義・軍国主義への嫌悪から、天皇・靖国神社・日の丸・君が代には批判的である。
そうした歴史認識から「日本のアジア諸国への謝罪は不十分である」とし、「国家間賠償は解決済みであっても個人賠償が未解決」とし、近年活発な日本政府に対する靖国問題や慰安婦問題などの個人的な賠償訴訟を提起、あるいは支援している。
日本国外
ラテンアメリカでは米国が主導する新自由主義に対する反発から反米左翼政権が数多く誕生している。また、90年以降左翼の政権も新自由主義的な経済政策を取り入れ始めたため、急進左派勢力がある程度勢力を拡大している。ドイツでも旧東ドイツのドイツ社会主義統一党の流れを汲む民主社会党PDSとドイツ社会民主党SPD左派が合流した左翼党が党勢を伸張している。東欧では市場経済導入以降の国内の経済格差批判から、党綱領と党名を変革した旧共産党の社会民主主義政党が政権に戻りつつある。
イギリスでは、階級制度の残存への対抗から、階級闘争勢力としての社会主義が根強い。しかしながら、労働党のトニー・ブレア首相は福祉国家色が強かった労働党の政策を中道左派の第三の道へ変えることで政権を獲得した。
ヨーロッパの学派は、日本の沈滞状況とは対称的に、ネグリ、ハート、アルチュセール、ジジェク、ラクラウ、バトラーなど、新自由主義、リベラルとは違う第三局として、ニューレフトを模索する運動が盛んである。
脚注
関連項目
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