わらべ
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わらべとは
- 子供
- 日本の伝統的な童謡(わらべ歌)
- 『欽ちゃんのどこまでやるの!?』の後期のレギュラーメンバー3人によるユニット(後述)
わらべはテレビ朝日系のバラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』から誕生した高部知子、倉沢淳美、高橋真美の3人から成る企画ユニットである。
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[編集] 登場背景
当時、萩本欽一の担当番組、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』、『欽ドン!』、『欽ちゃんの週刊欽曜日』の合計視聴率が100%を越え、また『欽ドン!』より誕生したイモ欽トリオのハイスクールララバイが大ヒットしていた。『欽ちゃんのどこまでやるの!?』の1982年のリニューアルに合わせて、これまで人形、あるいは子役タレントが担当してきた萩本家の3人の娘たち(のぞみ、かなえ、たまえ)が高校生として成長することになったのをきっかけにオーディションで選ばれた3人の若手女優によって結成された。
[編集] 命名
『のぞみ・かなえ・たまえ』のメンバー名は『希望(のぞみ)・叶え・たまえ』というゴロ遊びになっていたが、後記の事件でゴロ遊びが崩れてしまう。
[編集] 歴史
[編集] めだかの兄妹
1982年12月に坂本龍一編曲による1stシングルの『めだかの兄妹』がリリースされた。元々、番組のエンディングで就寝するシーンの中で使われていた曲をリリースしたもので、番組の企画物で有った事等もあり、88万枚以上を売り上げるヒットとなり、他局の音楽番組にも多数出演した。曲の内容は『すずめ、こねこ、めだか』が成長したら何に成りたいか歌った曲で、パジャマにチャンチャンコの衣装で歌った。
[編集] ニャンニャン事件
『めだかの兄妹』の大ヒットで今後の活躍が期待されたが、1983年4月に、のぞみ役の高部知子が、ベットでの喫煙・元彼といちゃついている様子を掲載した写真が写真週刊誌『フォーカス』に掲載された。当初は当面謹慎の後、復帰の予定だったが、元彼の自殺により、番組降板となった。その後、その出来事は『ニャンニャン事件』と呼ばれた。後年おニャン子クラブの出演番組夕やけニャンニャンで番組のタイトルにも使用された。
[編集] もしも明日が・・・。
ニャンニャン事件により、グループの存続が危ぶまれたが、『かなえ・たまえ』の2人グループとして再出発。『わらべ with KINDOKO FAMILY』として、1983年12月に2ndシングルの『もしも明日が・・・。』がリリース、97万枚以上を売り上げるグループ最高のヒットになった。低音部のコーラスを欽どこファミリーが担当。また、ジャケットには見栄晴も参加していた。1984年8月に『もしも明日が・・・。音頭編』も発売された。
[編集] 時計をとめて
1984年12月に3rdシングルの『時計をとめて』がリリースされた。15万枚売れたが、以前ほどのヒットには成らなかった。前曲ほど売り上げが伸びなかった理由として、楽曲の善し悪しより萩本欽一の勢いの低下の方が大きいと言われている。1985年3月の番組終了とともにユニットも解散、3人はそれぞれ女優・タレントとして数多くの人気作品に出演した。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
- 1982年12月21日『めだかの兄妹』(c/w:春風の郵便屋さん、作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし、編曲:坂本龍一)
- 1983年12月21日『もしも明日が・・・。』(c/w:昔、むかしは…、作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし、編曲:佐藤準)
- 1984年8月11日『もしも明日が・・・。音頭編』(c/w:もしも明日が・・・音頭編(オリジナル・カラオケ)、作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし)
- 1984年12月12日『時計をとめて』(c/w:流れ星メルヘン、作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし)
[編集] アルバム
[編集] 現在に与えている影響
『めだかの兄妹』は現在では幼稚園の遊戯の時間の定番曲としてもよく歌われている。また、『もしも明日が・・・。』は一部では教科書にも採用されている。
[編集] 余談
坂本龍一がのちに『欽ちゃんのどこまでやるの!?』にゲストとして出演した際、 「めだかの兄妹」の編曲の仕事について、「どうしてこれが自分のところに来たのかと思った」と率直な感想を語ってい る。
[編集] 関連項目
オリコン年間シングルチャート第1位 | ||
前年: 大川栄策 『さざんかの宿』 |
わらべ 『もしも明日が…。』 |
次年: チェッカーズ 『ジュリアに傷心(ハートブレイク)』 |