アストン・バレット
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アストン・バレット (Aston Barrett, 1946年11月22日 -、本名アストン・フランシス・バレット,Aston Francis Barrett)は、ジャマイカ、キングストン市生まれのレゲエベース奏者、および音楽家。ボブ・マーレィ&ザ・ウェイラーズで演奏したバレット兄弟の一人(もう一方はドラムスのカールトン・バレット,Carlton Barrett )。愛称は「ファミリーマン」(Family Man)で、さまざまな女性との間に52人の子供ができたために呼ばれている。
彼は、レゲエにおけるベースの旋律の役割を確立させた第一人者である。1969年からボブ・マーレィが死ぬ1981年の間、カールトン・バレットともにレコーディングとライブ演奏で現在のレゲエに欠かせない基本的なリズムパターンを発明した。また、バーニング・スピアからポップスのジョン・デンバーまで、幅広いアーティストと一緒に演奏した。
[編集] 略歴
アストン・バレットは最初、「ヒッピー・ボーイズ」(The Hippy Boys)というバンドでギターを弾いていた。1960年代後半に、リー・ペリーに誘われてアップセッターズに加入する。1969年にアップセッターズは 「リターン・オブ・ジャンゴ」(Return of Django)をイギリスでヒットさせる。同年、リー・ペリーがプロデュースしたボブ・マーレィ&ザ・ウェイラーズにも参加し、「ダピー・カンカラー」(Duppy Conquerer)、「ソル・レベル」(Soul Rebel)、「スモール・アクス」(Small Axe) といったシングルを録音する。
リー・ペリーの元を離れた1971年以降は、ウェイラーズの一員として活躍した。ルーツロックレゲエの隆盛とともに、アップセッターズの頃には見られなかった、訛りを効かせたベースラインへと進化していき、ボブ・マーレィの曲の印象をより恐ろしく、野蛮なものにした。
[編集] 関連項目
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