アッシュール・エティル・イラニ
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アッシュール・エティル・イラニ(Ashur etil ilani 在位:紀元前627年~紀元前623年頃)は、新アッシリア王国時代のアッシリア王である。彼の在位中の記録は殆ど残されていない。
[編集] 来歴
アッシュール・エティル・イラニの王碑文等が一切残されていないため、彼の治世に関する記録はほぼナボポラッサル年代記の断片的な記述しかない。
彼はアッシュールバニパルの息子として生まれた。多くのアッシリア王と同じく彼の即位に当たっては王位継承の争いがあったと推定されている。その争いはアッシュールバニパル王の生前から始まっていたと言う説があるが判然としない。対立者や他の関係した人物の名前も殆ど明らかではない。彼自身は宦官シン・シュム・リシルの後ろ盾を持っていた。
アッシュールバニパルの生前である紀元前630年頃から摂政(共同統治者)の地位についていたと言う説がある。これとは別に、アッシュールバニパルが別の息子シン・シャル・イシュクンを後継者に指名したため反逆してアッシュールバニパルを殺害したと言う説もある。だが、どちらも仮説の域を出ない。
彼は紀元前623年頃、後ろ盾だったシン・シュム・リシルに王座を奪われ死亡した。