シン・シャル・イシュクン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シン・シャル・イシュクン(Sin shar ishkun、在位:紀元前623年~紀元前612年)は、新アッシリア王国時代のアッシリアの王である。
[編集] 来歴
アッシュールバニパルの息子として生まれた。兄弟であるアッシュール・エティル・イラニが先に王位についていたが、少なくてもバビロンにおいてはシン・シャル・イシュクンの方が正当な後継者であると見られていたようである。
アッシュール・エティル・イラニが宦官シン・シュム・リシルによって恐らく殺害され、シン・シュム・リシルが王座についていたが、彼を倒してアッシリア王となった(紀元前623年頃)。
しかし、アッシリアはアッシュールバニパルの死からシン・シャル・イシュクンの即位に至る混乱の中でバビロニアの統制を失い、南部バビロニア(カルデア)の属州総督であったナボポラッサルはそれに乗じて新バビロニア王国(カルデア王国)を建設した。ナボポラッサルは北部バビロニアを征服後、更に北上してアッシリアを攻撃したがシン・シャル・イシュクンはこれを撃退した。
しかし紀元前612年には新バビロニア王ナボポラッサルと、メディア王キュアクサレスが連合してアッシリアに攻撃をかけ、首都ニネヴェは落城し破壊された。シン・シャル・イシュクンもこの時戦死したと考えられる。
彼の死後、王族のアッシュール・ウバリト2世がハランを拠点になお新バビロニアと戦ったが間もなくアッシリアは滅亡する。