アユタヤの歴史上の町と関連の歴史上の町
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アユタヤの歴史上の町と関連の歴史上の町 ※ (タイ王国) |
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ワット・プラマハータート (アユタヤ)の仏頭 | |
(英名) | Historic City of Ayutthaya and Associated Historic Towns |
(仏名) | Ville historique d'Ayutthaya et villes historiques associées |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(iii) |
登録年 | 1991年 |
拡張年 | |
備考 | タイ政府およびユネスコは遺産の具体的物件を明記していない。 |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
アユタヤの歴史上の町と関連の歴史上の町はタイ・アユタヤ県・アユタヤ市にある遺跡でユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。記事名は日本のユネスコによる訳である。基本的にアユタヤ歴史公園の遺跡群からなるが、公園外の遺跡をも含んでいる。
目次 |
[編集] 概要
この遺跡を作ったのは1351年 - 1767年に存在したアユタヤ王朝である。この王朝はナーラーイ王時代には現在のラオス、カンボジア、ミャンマーの一部を領有するほどの勢力を持っていた。中心都市であるアユタヤは、流れの穏やかなチャオプラヤー川に位置し、貿易に持ってこいの地形であった。この貿易に適した地で、王はその独占貿易で莫大な利益を収め、同時に上座部仏教を信仰していた王は、この莫大な利益を元に数々の寺院(ワット)を作り出した。しかし、1767年にビルマ(ミャンマー)の攻撃を受けてアユタヤ王朝は消滅した。同時にアユタヤ市内の建造物は徹底的に破壊され、ほとんどの寺院は廃寺となり、王宮も台座を残すのみとなった。世界的にみてアユタヤの建造物の多くが比較的新しい建造物であるにもかかわらず、そのほとんどが煉瓦のみになっているのは、このためである。
[編集] 登録経緯
まず1967年、アユタヤの遺跡を含む地域が正式にタイの文部省により歴史公園に指定された。のちの1991年タイの文部省の推薦があり、世界遺産(文化遺産)に登録された。
[編集] 登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
[編集] 登録された歴史公園の一覧
[編集] 関連項目
タイの世界遺産
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