上座部仏教
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基本教義 |
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
韓国の仏教 |
経典 |
聖地 |
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ウィキポータル |
上座部仏教(じょうざぶぶっきょう、Theravada Buddhism)は、仏教の分類のひとつ。「Theravada」は、パーリ語の「theravaada」のことである。日本語表記は他に上座仏教、テーラワーダ仏教などがある。
釈迦の死後、根本分裂を経て、仏教は保守的・修行者尊重的な上座部と非伝統的・在家肯定的(所謂大乗系的視点ではしばしば「革新的」と評される)な大衆部(だいしゅぶ)に分裂する。この根本分裂から枝葉分裂が起り、部派仏教の時代に入る。部派仏教の時代には、上座部からさらに分派した説一切有部が大きな勢力を誇った。新興の大乗仏教が主な論敵としたのはこの説一切有部である。大乗仏教側は説一切有部を論難するに際して、(自己の修行により自己一人のみが救われる)小乗(ヒーナヤーナ、hiinayaana)仏教(しょうじょうぶっきょう)と呼んだとされる。後に中国仏教では部派仏教全体を指して小乗仏教と呼ぶようになり、日本仏教もそれを受け継いだが、インドからスリランカに伝わりその後南アジア・東南アジア諸国に伝播した上座部仏教(南方上座部)の与り知らぬ話であった。
「小乗仏教」とは「大乗仏教(偉大な教え)」に対して「劣った教え」という意味でつけられた名称であり、大乗仏教の優位性を前提とした蔑称に過ぎないので、上座部仏教側が自称することはない。世界仏教徒の交流が深まった近代以降には通仏教的な相互尊重の立場から批判が強まり、徐々に使われなくなった。1950年6月、日本の伝統仏教各派も加盟する世界仏教徒会議(WFB)第一回世界大会がコロンボで開催された際、小乗仏教という呼称は使わないことが決議されている。
限りない輪廻を繰り返す生は苦しみ(dukkha)である。苦しみの原因はこころの執着(貪瞋癡)である。そしてこころの執着を断ち輪廻を解脱するための最も効果的な方法は、出家をし、聖者の生き方をまねぶ僧侶(比丘)として修行することである、として出家重視の立場をとる。このため上座部仏教では具足戒(出家者の戒律)を守る比丘サンガと彼らを支える在家信徒の努力によって初期仏教教団の姿をよく保存して来た。比丘尼(尼僧)サンガは早い時期に滅亡したが近年復興がはかられている。
大乗仏教では部派仏教の形式主義を批判し、釈尊の真精神を発揮するとの立場から数あまたの如来・諸菩薩が活躍する大乗経典を生み出し、中観・唯識に代表される思想的展開が図られていった。それに対して上座部仏教では、釈尊によって定められた戒律と教え、悟りへ至る智慧と慈悲の実践を純粋に守り伝える姿勢を根幹に据えてきた。古代インドの俗語起源のパーリ語で記録された共通の三蔵(tipitaka)に依拠し、教義面でもスリランカ大寺派の系統に統一されている点など、大乗仏教の多様性と比して特徴的なことは確かである。
大乗仏教が北インドから東アジアにひろがったのに対し、上座部仏教はマウリア朝アショーカ王の時代にインドから主に南方のスリランカ(セイロン島)・ビルマ・タイなど東南アジア方面に伝播した。このため「南伝仏教」とも呼ばれる。現在では、スリランカ、タイ、ミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジアの各国で多数宗教を占める。またベトナム南部に多くの信徒を抱え、インド、バングラデシュにも少数派のコミュニティが存在する。近年はマレーシア、シンガポール、インドネシアなどでも華僑を中心に信仰を集めている。
アジアの上座部仏教圏のほとんどは西欧列強の植民地支配を受けたため、経典の文献学的研究はイギリス(スリランカとミャンマーの旧宗主国)を中心に欧州で早くから進んだ。ロンドンのPali Text Societyから刊行されたパーリ三蔵(PTS版)は現在も標準的な地位を占めている。布教伝道も旺盛に行われており、欧米にはチベット系・禅宗系と並んで、数多くの上座部仏教の寺院や団体がある。背景のひとつには1970年代頃からヴィパッサナー瞑想(vipassana meditation)をはじめ、上座部仏教由来の修行法が欧米で注目されたことも挙げられる。
仏教伝来以来、長く大乗相応の地とされてきた日本では、明治時代にスリランカ留学僧の釈興然(グナラタナ)によって上座部仏教の移植が試みられた。現在はタイ、ミャンマー、スリランカ出身の僧侶を中心とした複数の寺院や団体を通じて布教伝道活動がなされており、日本人出家者(比丘)も誕生している。