アラン人
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アラン人(Alans,アラン族)は、カスピ海北岸(現在のカザフスタンやロシア連邦の南部の一部)を中心に活動していたイラン系(特にサルマタイ系とされる)遊牧民族。アラニ族ともいう。
[編集] 歴史
アラン人は紀元前1世紀頃にカスピ海北岸からウクライナのステップ地帯にいたサルマタイから分かれたとされている。中国では奄蔡(えんさい)、阿蘭と呼ばれた。 紀元1世紀以降にサルマタイに代わって南ロシアのステップ地帯を支配するようになり、ドナウ川を越えてローマ帝国やパルティアに侵入(134年頃)し、略奪を行っていたようである。372年、フン族によってアラン人は征圧される。その後、一部はカフカスに南下しアラニアを建国した。またフン族と共に西に移動した一部はハンガリーに定着し、ヤース人と呼ばれるようになった。
アラニアは、8〜9世紀の間にハザールの支配下に入ったが、9〜10世紀に再び独立した。東ローマ帝国との交流も盛んで、交流によりキリスト教が国内で普及した。 しかし13世紀初めにモンゴル人の侵入に遭い、アラニアは消滅。現在の北カフカスのオセット人はアラン人の末裔とされている。