アンナ (ロシア皇帝)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンナ・イヴァーノヴナ、アンナ・イワノヴナ・ロマノワ、もしくはアンナ・ヨアノヴナ(Анна Иоанновна / Anna Ivanovna, 1693年1月28日(グレゴリオ暦2月7日) - 1740年10月17日(グレゴリオ暦10月28日), 在位:1730年 - 1740年)は、ロマノフ朝の第4代ロシア皇帝。イヴァン5世の娘。
1710年11月、バルト・ドイツ人貴族であるクールラント公フリードリヒ・ヴィルヘルムと結婚したが、1711年1月にサンクトペテルブルクからの帰途、夫が死亡した。アンナはのち1730年までクールラント公妃を称した。
ピョートル2世の死去に際してロシア皇帝の座に就いた。政治に関心がなく、クールラント時代からの寵臣ビロンやピョートル1世に仕えたオステルマン伯、ミュンニヒ元帥に治世を任せた。
アンナの治下、1736年にロシアはオスマン帝国を攻撃したが、神聖ローマ皇帝カール6世はこれに干渉して、アゾフ以外の占領地からロシアを撤退させた。しかしこれはロシアが中央アジアへ進出する第一歩となった。
|
|
|