ピョートル2世
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ピョートル2世(Пётр II Алексеевич, 1715年10月23日 - 1730年1月29日、在位1727年 - 1730年)はロマノフ朝第7代の君主、第3代ロシア皇帝。ピョートル1世の孫。父は、ピョートル1世とその最初の妻エフドシアの息子、大公アレクセイ・ピョートロヴィチ。母はピョートル1世の孫娘、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公女ゾフィー・シャルロッテ。
1727年、エカチェリーナ1世の死去を受けて、遺言によって12歳でロシア皇帝に即位したが、実際に即位したのは1728年であった。
1730年、天然痘のため在位僅か3年余で死亡した。死の床で、ピョートルはその日結婚したばかりの妻エカチェリーナ・ドルゴルコヴァに子孫を残そうと、狂おしく絶望的な努力を行った。ピョートルの従姉であるアンナが帝位を継いだ。ピョートルの死によって、ロマノフ家の男系の嫡流は断絶した。
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