ロマノフ朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロマノフ朝(ロマノフちょう)は、ロシアの王朝である。16世紀末のフョードル・ニキーチチ・ロマノフの代に台頭し、その息子であるミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフが1613年にリューリク朝後の動乱期[1]を制して初代ツァーリに即位し、18代ニコライ2世が廃位させられる1917年まで続いた。
専制君主として君臨し、 ピョートル1世(ピョートル大帝)のとき西洋化・近代化を進めヨーロッパの列強に加わり、その後勢力を拡大してヨーロッパから沿海州までを支配した。その後宮廷革命でドイツ人のエカチェリーナ2世が即位する。この過程でロマノフ家にはドイツ系の血が濃厚となった。19世紀に入ると立憲君主制を求めてデカブリストの乱が起こる。1905年革命で絶対君主制から立憲君主制へ移行し、ロシア革命で君主そのものが打倒される。
ロマノフ家の男系の嫡流は、1730年に断絶しており、さらに1762年にホルシュタイン=ゴットルプ家からピョートル3世を皇帝として迎えており、実際には、1762年以後はホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ王朝と呼ぶのが史実的には正しい。
現当主はゲオルク・ミハイロビッチ・ロマノフであり、アレクサンドル2世の息子であるウラジーミルの家系である。彼の家系は以下の通り
- (アレクサンドル2世)
- ウラジーミル・アレグサンドロビッチ(ロシア大公)[2] 1847 - 1909 アレクサンドル2世の息子
- キリル・ウラジーミロビッチ・ロマノフ[3] 1876 - 1938 ウラジーミルの息子。1924年9月13日にロシア皇帝位の継承を宣言。以下キリルの息子・娘に皇位は継承されている。
- ウラジーミル・キリロビッチ・ロマノフ[4] 1917 - 1992 キリルの息子
- マリア・ロマノフ[5]1953 - ウラジーミルの娘。夫はプロシア王子フランツ・ウィルヘルム(Prince Franz Wilhelm of Prussia)
- ゲオルク・ミハイロビッチ・ロマノフ[6] 1981 - マリアとフランツの間の息子。現当主
[編集] 歴代ツァーリ
- ミハイル(1613年 - 1645年)
- アレクセイ(1645年 - 1676年)
- フョードル3世(1676年 - 1682年)
- イヴァン5世(1682年 - 1689年)
- ピョートル1世(1682年 - 1725年)-1721年、「インペラートル(皇帝)」に戴冠。「帝政」の開始
- エカチェリーナ1世(1725年 - 1727年)
- ピョートル2世(1727年 - 1730年)
- アンナ(1730年 - 1740年)
- イヴァン6世(1740年 - 1741年)
- エリザヴェータ(1741年 - 1762年)
- ピョートル3世(1762年1月5日 - 6月28日)-ホルシュタイン=ゴットルプ家
- エカチェリーナ2世(1762年 - 1796年)
- パヴェル1世(1796年 - 1801年)
- アレクサンドル1世(1801年 - 1825年)
- ニコライ1世(1825年 - 1855年)
- アレクサンドル2世(1855年 - 1881年)
- アレクサンドル3世(1881年 - 1894年)
- ニコライ2世(1894年 - 1917年)