アンヌ・ドートリッシュ
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
アンヌ・ドートリッシュ(Anne d'Autriche:1601年9月21日 - 1666年1月20日)はフランス王ルイ13世の王妃で、ルイ14世の母。
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[編集] 生涯
1601年、スペイン王フェリペ3世の王女として誕生。母は神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の娘マルガレーテ(マルガリータ)。スペイン名はアナ・マリーア・マウリシア(Ana María Mauricia)。フェリペ4世は弟である。
1615年11月25日にルイ13世と結婚。
1643年にルイ13世が崩御した後は、5歳で即位したルイ14世の摂政となり、ジュール・マザラン枢機卿とともに息子の代わりに政治を執った。マザランとは極秘結婚をしたと言われるほどに親密であった。三十年戦争、フロンドの乱を戦い抜き、ルイ14世の王権樹立に多大なる貢献を果たした。1659年にスペインとの戦争を終結してピレネー条約を結び、ルイ14世を自らの姪(フェリペ4世の王女)であるマリー・テレーズ・ドートリッシュと結婚させた。1661年、マザランの死後ルイ14世は親政を開始し、アンヌはヴァル・ド・グラース寺院に隠棲する。
1666年に死去。乳癌であったとされる。
[編集] 人物
- その美貌から恋の噂を囁かれることが少なくなかった。
- ダルタニャン物語でのバッキンガム公のダイヤの胸飾りのエピソードは実話との裏付けがなされている。
[編集] 子女
結婚後数年のうちに2度流産した後、長らく子に恵まれなかったが、30代後半に至って2人の男子を産んだ。