アン・クレーマー
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アン・クレーマー |
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基本情報 |
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英語名 | Anne Kremer |
国籍 | ![]() |
出身地 | 同・ルクセンブルク市 |
生年月日 | 1975年10月17日 |
身長 | 165cm |
体重 | 55kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1991年 |
ツアー通算 | 2勝 |
シングルス | 2勝 |
ダブルス | 0勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 2回戦(1999・2001-03・07) |
全仏 | 3回戦(2002) |
全英 | 3回戦(1999・2004) |
全米 | 2回戦(1998-2000) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 18位 |
ダブルス | 140位 |
Template |
アン・クレーマー(Anne Kremer, 1975年10月17日 - )は、ルクセンブルク・ルクセンブルク市出身の女子プロテニス選手。当地から登場した最初の本格的なプロテニス選手として活動し、WTAツアーでシングルス2勝を挙げた。シングルス自己最高ランキングは18位。身長165cm、体重55kg、右利き。ベースライン・プレーヤーで、両手打ちのバックハンド・ストロークを最大の武器にする。キャリアを通してウィンブルドンでの活躍が多く、芝生コートを最も得意にする選手。
クレーマーはテニス選手のほとんどいないルクセンブルクで、1991年から競技経歴を始めたが、長い間アマチュア選手であった。1996年のウィンブルドンで4大大会にデビューした時は、予選3試合を勝ち上がった後、本戦1回戦で日本の杉山愛に 5-7, 4-6 で敗れた。これがきっかけで、クレーマーは日本で早くから知名度を得ていた。同年のアトランタ五輪でオリンピックに初出場した時は、開会式でルクセンブルク代表選手の旗手に選ばれた。この時は女子シングルス1回戦でリンゼイ・ダベンポートに敗れる。1997年のウィンブルドン1回戦で、クレーマーは当時最年少世界ランキング1位になったばかりのマルチナ・ヒンギスに 4-6, 4-6 で敗れた。学生時代はアメリカのスタンフォード大学でプレーし、同大学をNCAAの女子テニス選手権団体優勝に導いたこともあったため、クレーマーのプロ転向は比較的遅く、1998年9月になってからである。この時、クレーマーは間もなく23歳を迎える頃であった。
1999年、プロ選手生活に専念し始めたクレーマーはすべての4大大会で初戦を突破する。同年のウィンブルドン3回戦では、当時16歳の新星エレナ・ドキッチ(当時はオーストラリア国籍)とともにセンター・コートでプレーした。ドキッチはこの大会の1回戦でマルチナ・ヒンギスを 6-2, 6-0 で破って一躍有名になり、彼女の試合ぶりが大きな注目を集めていた時だったが、クレーマーはドキッチに 7-6, 3-6, 4-6 の逆転で敗れた。2000年に、クレーマーは1月初頭のニュージーランド・オークランドの大会と11月のタイ・パタヤ市の大会で女子ツアー2勝を挙げた。この年はシドニー五輪で2度目のオリンピック出場を果たしたが、シングルス2回戦で南アフリカ代表のアマンダ・クッツァーに敗れている。
その後のクレーマーは、2002年全仏オープンと2004年ウィンブルドンで3回戦進出があり、アテネ五輪で3度目のオリンピックにも出場した。2007年の全豪オープンでは、クレーマーは予選勝者としてプレーし、本戦1回戦でオランダのミカエラ・クライチェク(リカルド・クライチェクの妹)を破ったが、2回戦でセリーナ・ウィリアムズに敗退した。