イシ
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イシ(1860年頃? - 1916年3月25日)は、アメリカ・カリフォルニア州に先住していたヤナ族インディアンのうち、ヤヒ族の最後の人物に与えられた名である。イシは生涯の多くを欧米人社会から全く隔絶されて暮らし、最後の生粋のネイティブ・アメリカンであったと考えられている。ラッセン山麓の丘陵地帯にあった先祖伝来の土地を離れ、サクラメント近郊のオロヴィルの荒野に現れた。
「イシ」はヤヒ語で「人」を意味する。ヤヒ族社会では自分の名前をみだりに他人に告げることはなく、彼の本名は知られていない。彼は部族最後の生き残りであり、本当の名は彼とともに葬られた。
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[編集] 生涯
ヨーロッパ人と接触する以前のヤナ人口は3000人弱であったと推定され、カリフォルニア北部の丘陵地帯で3000~4000年前と変わらぬ原始的な生活を営んでいた。1860年頃から、ゴールドラッシュとともに押し寄せた開拓者たちの組織的な虐殺や強制移住によって多くが民族としての体を失い、南部におよそ400人を数えたヤヒ族も1865年以降たびたび大規模な虐殺に見舞われた。イシとその家族を含め十数人は生き延びたが、その後の数十年間の逃亡生活の中でイシの母や仲間たちは死んでゆき、1911年8月29日、50歳前後の衰弱しきったイシひとりがオロヴィルの屠畜業者の囲いに迷い込んだ。
この頃までに市民にとってインディアンは脅威ではなくなっており、イシは身の安全のために保安官に保護され、原始人の生き残りとして大きく報じられた。その後カリフォルニア大学サンフランシスコ校に引き取られ、同校の人類学博物館で1916年3月25日に結核で亡くなるまで穏やかな余生を過ごした。ここでイシは人類学者アルフレッド・L・クローバーとトマス・タルボット・ウォーターマンらによって詳しく調査され、遺物資料の同定や作成方法の再現などヤヒ文化の再構築に協力した。また彼はヤナ語の言語に関する情報も提供し、この成果は以前から北部の方言を研究していたエドワード・サピアによって記録・分析されている。
彼の半生はアルフレッド・クローバーの妻シオドーラ・クローバーの著作によって広く知られた。彼女は夫の残した記録をもとに面識のなかったイシの伝記を著し、アルフレッドの死後、1961年に『イシ-北米最後の野生インディアン-』"Ishi in Two Worlds"(ISBN 0-520-22940-1)を、また1964年には少年少女向けに『イシ-二つの世界に生きたインディアンの物語-』"Ishi, Last of His Tribe"(ISBN 0-395-27644-6)を発表した。これらをテレビ映画のために脚色したのが"Ishi: the Last of His Tribe"で、NBCで1978年12月20日に放送された。また1992年にもグラハム・グリーン主演のテレビ映画"The Last of His Tribe"が制作されている。
2003年に、アルフレッドの息子で人類学者のクリフトン・クロ-バーとカール・クローバーは、イシに関する初めての学術書"Ishi in Three Centuries"(ISBN 0-8032-2757-4)をまとめた。これにはジェラルド・ヴァイズナーなどインディアン出身の作家が1970年代後半から発表していた評論も含まれる。イシの研究に関する最新の動向はデューク大学の人類学者オーリン・スターンによる2004年の著書"Ishi's Brain: In Search of America's Last "Wild" Indian"(ISBN 0-393-05133-1)の中でも触れられている。イシの遺骸から採取された脳の行方を追い、彼が当時のアメリカ人や今日のインディアンたちに何を投げかけるのかを説いている。
ジェラルド・ヴァイズナーの活動により、カリフォルニア大学バークレー校内にはIshi Courtが設けられている。イシの半生は賞を獲得したドキュメンタリー映画"Ishi: The Last Yahi"(1992)でも描かれている。
[編集] イシの鏃
カリフォルニア大学バークレー校のスティーブン・シャックリーによる最近の研究[1]では、イシが実際にはヤヒ族の血を半分しか受け継いでいなかった可能性が指摘されている。これはイシの作った鏃の比較研究に基づくもので、これによるとイシは鏃の作成技術を、ヤヒ族と隣接しながら伝統的に敵対していたウィントゥン(wintun)族のうちウィントゥ(wintu)族あるいはノムラキ(nomlaki)族出身の男性の親族から学んだ可能性があるという。
イシがこれらの部族の混血であったと考えると、彼の示した現代社会に対する非凡な順応力を生育環境、とくに出生による文化的な規範の違いよるものとして説明できるかもしれない。これに関する議論はまだ尽くされておらず、また将来的に彼の生い立ちが明らかになる見込みはない。
[編集] イシの弓術
イシは同時代の他のカリフォルニア・インディアンと同様、弓矢に熟達していた。彼を診療し、大学内で最も近しい友人の一人であったサクストン・ポープは、とくにイシが作った弓と矢、そしてその弓術に関心を持った。イシはこれらの道具の作成法をポープに教え、1914年の夏にはポープらを連れ立って故郷の山々で狩りをした。イシの死後、ポープは教わった弓術を"Hunting with the Bow and Arrow"と題した本に記し、これによって近代のスポーツ・狩猟弓術に足跡を残した。
[編集] 関連項目
- アーシュラ・K・ル=グウィンは、クローバー夫妻の娘である。
- 手塚治虫の漫画作品に、『原人イシの物語』(1975)がある。
[編集] 参考文献
- シオドーラ・クローバー 『イシ-北米最後の野生インディアン-』 行方昭夫訳、岩波書店、1970年。
- シオドーラ・クローバー 『イシ-二つの世界に生きたインディアンの物語-』 中野好夫・中村妙子訳、岩波書店、1977年。(ISBN 4001106906)
[編集] 外部リンク
- The Ishi report, University of California イシの遺骸の扱いに関するカリフォルニア大学の報告
- Ishi: The Last Yahi (1992) documentary 1992年のドキュメンタリー映画
- Ishi: The Last Yahi on Imdb Imdbによる上の映画の情報
- Books on Ishi by Richard Burrill 作家リチャード・バリルのページ