エディ・ディアス
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エディ・ディアス(Eddy Diaz、1971年9月29日 - )は、ベネズエラ出身の元広島東洋カープのプロ野球選手(内野手)。
フェデリコ・カルモーナ高からマリナーズ、ブリュワーズ、レッドソックスを経て、1999年に広島東洋カープに入団。強肩で守備範囲も広く、シュアな打撃で定評があり、シーズンオフには母国ベネズエラで牧場を経営するなどユニークな一面もあった。1999年9月14日にホームランを放つが一塁走者の新井貴浩を追い抜いてしまうアクシデント。2001年にはルイス・ロペス (広島・ダイエー)とともにセ・リーグ初の両外国人3割30本塁打を達成し、ベストナインを受賞した。打撃が開眼したのは西武ライオンズのアレックス・カブレラのアドバイスがあったからと言われる。2002年は序盤こそ好調であったが股関節を痛め、その後成績が振るわずシーズン終了後退団し、韓国のプロ野球チーム、SKワイバーンズへ移籍。2004年はハンファ・イーグルスでプレイし、2005年はメキシカンリーグのユカタン・ライオンズにてプレイし、2006年は同リーグのヴァケロス・ラグーナにてプレイした。
メガネと、ピッチャーが構えるまでずっとバットを振り子のように振っているフォーム、ホームランを打った際に2塁ベースを回ったところで行う天に向かっての投げキッスが印象的だった。また、巨人相手には勝負強いバッティングでピッチャーを苦しめた。
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[編集] プロフィール
- 生年月日 1971年9月29日
- 身長・体重 179cm・79kg
- 出身地 ベネズエラ
- 血液型 O型
- 投打 右投げ右打ち
- 球歴 フェデリコ・カルモーナ高→マリナーズ→ブリュワーズ→レッドソックス
- プロ入り年度 1999年(広島東洋カープ)
- 守備位置 内野手
[編集] 来歴・人物
1999年 に正田耕三の引退後、手薄となっていた二遊間のポジション確立のために来日。長距離打者ではないが、強肩の守備に加えて、三振の少ない確実性のある打撃が2番打者の適正があると首脳陣が高く評価したのである。1年目はシーズン通じて主に2番や7番を打ち、シュアな打撃を披露した。 2000年 はシーズン前半を怪我のために出場機会を大幅に減らすこととなるが、復帰後の巨人戦で9回表2死の局面から起死回生の同点本塁打を放つ。規定打席には到達できなかったものの、広島市民球場での本拠地最終戦で満塁本塁打を放つなど、意地を見せた。本塁打数は前年と同じ8本。 2001年 には開幕から好調を維持し、7月には1試合3本塁打を放つなどして打撃開眼。この年32本塁打を放ちベストナインに選出される。 2002年 も前年同様に開幕から打ちまくり、リーグ2桁本塁打1番乗りを果たす。十分に打撃タイトル獲得の可能性があったが、この後に股関節を痛めて長期離脱に伴い登録を抹消される。何とかシーズン終盤には復帰するが、それ以降の成績はあまり伸びず、本塁打は17本に終わる。この年の契約更改でこの故障を公傷と認めるように訴えたが、双方の交渉は折り合わず、自由契約となった。日本球界退団後は韓国プロ野球やメキシカンリーグでプレーしている。
[編集] エピソード
高めのボールを打つのが非常に上手く、痛烈なライナー性の本塁打を多く放った。強肩を活かした守備には定評があり、巨人戦でショートに飛んだ際どいタイミングのゴロをグラブで捕球せずにそのまま素手で処理して見事にアウトにしたこともある。決して俊足ではないが、たまに意表をついたバントをしたり、小技にも対応できる一面も見せつけた。先述にもある通り巨人戦ではよく打ち、広島歴代外国人屈指の巨人キラーであると言っても過言ではないだろう。人柄の良さで知られ、また練習熱心であったことでも知られる。得点圏での打率も高く、攻守にそつのない優良外国人選手であった。
[編集] 所属球団
[編集] 背番号
[編集] 経歴・タイトル
- 初出場 1999年4月2日対中日ドラゴンズ(ナゴヤドーム)
- 初安打 1999年4月3日対中日ドラゴンズ(ナゴヤドーム)(野口茂樹投手から)
- 初本塁打 1999年4月6日対阪神タイガース(広島市民球場)(中込伸投手から)
- ベストナイン 1回(2001年)
[編集] 大リーグ通算成績
16試合出場 打率.220 本塁打0本 打点7
3A時代は1998年レッドソックス傘下で打率.269 11本塁打 63打点
[編集] 年度別成績(日本プロ野球)
年度 | 所属 | 試合数 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 三振 | 四球 | 死球 | 犠打 | 犠飛 | 併殺 | 失策 | 打率 |
1999 | 広島 | 110 | 361 | 29 | 95 | 14 | 2 | 8 | 137 | 53 | 2 | 40 | 20 | 5 | 4 | 2 | 12 | 17 | .263 |
2000 | 広島 | 88 | 264 | 25 | 67 | 7 | 0 | 8 | 98 | 31 | 4 | 30 | 16 | 1 | 2 | 1 | 3 | 9 | .254 |
2001 | 広島 | 136 | 470 | 76 | 143 | 18 | 1 | 32 | 259 | 85 | 5 | 53 | 39 | 4 | 7 | 4 | 10 | 11 | .304 |
2002 | 広島 | 96 | 353 | 36 | 99 | 16 | 0 | 17 | 166 | 51 | 2 | 41 | 30 | 8 | 5 | 4 | 8 | 12 | .280 |
通算 | 430 | 1448 | 166 | 404 | 55 | 3 | 65 | 660 | 220 | 13 | 164 | 105 | 18 | 18 | 11 | 33 | 49 | .279 |
[編集] 年度別成績(韓国プロ野球)
年度 | チーム | 打率 | 本塁打 | 打点 | |
2003年 | S K | .285 | 22 | 63 | |
2004年 | ハンファ | .209 | 7 | 26 |
[編集] 年度別成績(メキシカンリーグ)
年度 | 所属 | 試合数 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 三振 | 四死球 | 打率 |
2005 | ユカタン | 105 | 391 | 54 | 128 | 21 | 1 | 14 | 193 | 66 | 4 | 35 | 47 | .327 |
2006 | ラグーナ | 101 | 398 | 56 | 115 | 20 | 0 | 10 | 165 | 71 | 0 | 42 | 45 | .289 |