エリナー・オブ・イングランド (カスティーリャ王妃)
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エリナー・オブ・イングランド(Eleanor of England, 1162年10月13日 - 1214年10月31日)は、カスティーリャ王アルフォンソ8世の王妃。スペイン語ではレオノール・プランタヘネト((Leonor Plantagenet)またはレオノール・デ・インラテラ(Leonor de Inglaterra)。イングランド王ヘンリー2世と王妃アリエノール・ダキテーヌの次女(第6子)。
ノルマンディーのドンフロン城で生まれた。洗礼式で代父となったのは、中世の歴史家ロベール・ド・トリニーで、彼はエリナーの生涯を記録に残した。
彼女は、母と同じ「エリナー」という名を与えられた。ギリシャ語の「ヘレン」やイタリア語の「エレナ」に近いと考えられている。
わずか8歳でアルフォンソ8世と結婚した。彼女の持参金として、ピレネー山脈にほど近いガスコーニュが含まれていた。2人には12人の子が生まれた。
- ベレンゲラ (1180-1246): カスティーリャ女王
- サンチョ(夭折)
- サンチャ(夭折)
- マファルダ (1183?-1184)
- ウラッカ (1186-1220): ポルトガル王アフォンソ2世妃
- ブランカ (1188-1252): フランス王ルイ8世妃
- フェルナンド (1189-1211)
- コンスタンス(夭折)
- レオノール (1200-1244): アラゴン王ハイメ1世妃
- コンスタンス(夭折)
- エンリケ1世 (1204-1217)
アリエノール・ダキテーヌの生んだ娘たちの中で、彼女の政治的な気質を最も受け継いだのはエリナーだった。そして母と同じく多くの子供を生んだ。彼女は夫の意志を左右するほどの力を持ち、夫と並んで統治をした。夫の死に際しても、エンリケのそばで支配を行おうとした。長女ベレンゲラを、レオン王国との平和のためにレオン王アルフォンソ9世と結婚させるべく夫を説得したのはエリナーだった。
アルフォンソ王が亡くなると、エリナーは夫の埋葬を拒み、悲嘆にくれて国土は荒廃したと伝えられている。末子エンリケはまだ幼少のため、ベレンゲラが即位した。エリナーはやがて病に倒れ、夫の死後わずか28日後に亡くなった。ブルゴスに葬られた。