エレナ・リホフツェワ
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エレナ・リホフツェワ |
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基本情報 |
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英語名 | Elena Likhovtseva |
フルネーム | Elena Aleksandrovna Likhovtseva |
国籍 | ロシア |
出身地 | カザフスタン・アルマトイ |
生年月日 | 1975年9月8日 |
身長 | 174cm |
体重 | 60kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1992年 |
ツアー通算 | 30勝 |
シングルス | 3勝 |
ダブルス | 27勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | ベスト8(2000) |
全仏 | ベスト4(2005) |
全英 | ベスト8(2002) |
全米 | 4回戦(1994・99・2001・03・05) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 15位 |
ダブルス | 3位 |
Template |
エレナ・リホフツェワ (Elena Likhovtseva, Еле́на Алекса́ндровна Ли́ховцева, 1975年9月8日 - )は、ロシアの女子プロテニス選手。カザフスタンのアルマトイに生まれる。長年にわたり、ロシアの女子テニス界を担う選手の1人として活動してきた。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。これまでにWTAツアーでシングルス3勝、ダブルス27勝を挙げ、2007年の全豪オープン混合ダブルス部門で初めての4大大会優勝を達成した。自己最高ランキングはシングルス15位、ダブルス3位。既婚。
1992年1月に16歳でプロ入り。1993年の全米オープンで4大大会にデビューする。4大大会では2000年全豪オープンと2002年ウィンブルドンでベスト8進出があったが、2005年の全仏オープン女子シングルスで、29歳にして初の準決勝進出を果たした。そこでは同じ年のマリー・ピエルスに 1-6, 1-6 で完敗したものの、リホフツェワのプロテニス選手としての「息の長さ」を世界の観客に印象づける活躍だった。
リホフツェワはダブルスの名手としてよく知られ、女子テニスツアーでダブルス通算27勝を挙げている。1997年から1999年にかけては、日本の杉山愛とペアを組み、6つのダブルス・タイトルを獲得した。杉山はやがて、リホフツェワよりもフランスのジュリー・アラール・デキュジスとダブルスの息が合うようになったが、その後もリホフツェワは様々な選手たちとペアを組んで好成績を維持している。2006年はダブルスで年間2勝を挙げ、2007年も全豪オープン直前のオーストラリア・ホバート大会で優勝がある。
2007年全豪オープンで、エレナ・リホフツェワはカナダのダニエル・ネスターとペアを組み、決勝でベラルーシペアのマックス・ミールヌイ&ビクトリア・アザレンカ組を 6-4, 6-4 で破って初優勝した。リホフツェワとネスターは、前年の2006年全豪オープンと2006年全仏オープンで2大会連続の混合ダブルス準優勝があった。これはリホフツェワが31歳にして初めて獲得したグランドスラム・タイトルである。
ロシアの女子テニス界は、現在は空前の規模とも言えるほどの選手層の厚さを誇っている。1996年にアンナ・クルニコワが15歳で世界の女子テニス界に旋風を起こし、それ以後アナスタシア・ミスキナ(2004年全仏オープン優勝者)、エレナ・デメンティエワ、スベトラナ・クズネツォワ、マリア・シャラポワなどの逸材が次々にロシアから登場してきた。リホフツェワは比較的地味な雰囲気の持ち主だが、こつこつと息の長い活動を続けてきた貴重な存在である。オリンピックのロシア代表選手としても、1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪の3度出場を果たしており、ロシアには不可欠な選手と言えるだろう。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- エレナ・リホフツェワ - WTAツアーのプロフィール(英語)
- フェドカップ成績表