マリア・シャラポワ
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マリア・シャラポワ |
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基本情報 |
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英語名 | Maria Sharapova |
フルネーム | Marija Jurjevna Sharapova |
愛称 | ロシアの妖精 |
国籍 | ロシア |
出身地 | 同・チュメニ州 ハンティ・マンシ自治管区 ニャガン |
居住地 | アメリカ合衆国フロリダ州 |
生年月日 | 1987年4月19日 |
身長 | 188cm |
体重 | 59kg |
利き手 | 右(ただし日常生活は両手) |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 2001年 |
ツアー通算 | 18勝 |
シングルス | 15勝 |
ダブルス | 3勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 準優勝(2007) |
全仏 | ベスト8(2004・2005) |
全英 | 優勝(2004) |
全米 | 優勝(2006) |
優勝回数 | 2(全英1・全米1) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 1位 |
ダブルス | 41位 |
Template |
マリア・シャラポワ (Maria Sharapova, Мари́я Ю́рьевна Шара́пова, ラテン文字転写の例: Marija Jurjevna Sharapova, 1987年4月19日 - )は、ロシア・西シベリアに位置するチュメニ州ハンティ・マンシ自治管区・ニャガン市出身の女子プロテニス選手である。ニックネームは「ロシアの妖精」。身長188cm、体重59kg。左利きだったというが、矯正で両方使える。バックハンド・ストロークは両手打ち。ロシア語人名の日本語表記に即したより正確な読みは「マリーヤ・ユーリイヴナ・シャラーパヴァ」になるが、彼女の名前の転写は世界の各言語でも様々である。
[編集] プロフィール
両親はベラルーシ・ゴメリの出身。1986年チェルノブイリ原発事故の影響により、両親がロシア・西シベリアにあるニャガンへ移住を決意する。4歳の時からテニスを始める。6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見い出され、7歳の頃父親とともに渡米した。ただし、ナブラチロワはこの時のことを後日談で「全然記憶にない」と話している。ずば抜けた才能と言うよりも、センスを磨き練習で培った実力というべきなのであろう。渡米後はフロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて練習開始。現在はフロリダ州ブラーデントンに在住している。
[編集] 選手経歴
- 2001年4月19日 - 14歳でWTAツアーにデビュー。
- 2002年 - ITF群馬大会でプロ初優勝。
- 2003年 - AIGジャパン・オープンにて、シングルスとダブルスでWTAツアー初優勝。
- 2004年 - ウィンブルドンでセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破り、17歳2ヶ月で4大大会初優勝を達成。11月のWTAツアー最終戦でも決勝でセリーナ・ウィリアムズを破り、大会初出場で初優勝を飾る。
- 2006年 - 全米オープンにて、2004年のウィンブルドン以来となる決勝進出を果たし、決勝でジュスティーヌ・エナン・アーデンを 6-4、6-4 で破り、4大大会2勝目を挙げる。
シャラポワは2003年のウィンブルドン3回戦で第11シードのエレナ・ドキッチを破り、一躍時の人になった。この大会では続く4回戦で同じロシアの選手、スベトラナ・クズネツォワに敗れた。2004年には全仏オープンで準々決勝に進出した後、ウィンブルドンで初優勝を飾り、1997年のマルチナ・ヒンギス(16歳9ヶ月)に次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録を樹立した。女子テニスで18歳未満の選手が4大大会を制したのは、1999年全米オープンのセリーナ・ウィリアムズ(17歳11ヶ月)以来であった。
2004年にはAIGジャパン・オープンに第1シードとして出場し、決勝でアメリカのマショーナ・ワシントン(マラビーヤ・ワシントンの妹)に 6-0, 6-1 のスコアで勝利し連覇を達成した。この日(10月9日)は台風22号が関東地方を直撃したが、例年より多い約9000人の観客が来場した。この年のAIGジャパン・オープンの入場者の総数は過去最多となり、“シャラポワ効果”という言葉で表現される場合もあった。
2005年は、2月に東京体育館で開催された東レ・パン・パシフィック・テニスにおいてリンゼイ・ダベンポートを破って初優勝を果たし、好調なスタートを切る。しかし、ウィンブルドンでは準決勝でヴィーナス・ウィリアムズに 6-7, 1-6 で敗れ、大会2連覇はならなかった。同年8月22日、ロシアの女子テニス選手としては初めて世界ランキング1位となる。また、大会のグレードがTier III(ティア3)であるAIGジャパン・オープンについては、2005年度以降WTAの世界ランキングの規定により出場する権利がなくなった。
2006年2月4日、東レ・パン・パシフィック・テニス準決勝で当年度から現役復帰したマルチナ・ヒンギスに 3-6, 1-6 で敗れ、大会連覇を逃した。(その後ヒンギスには3月上旬の「インディアンウェルズ・マスターズ」で勝った。)2007年の大会では、全豪オープン決勝でセリーナ・ウィリアムズに完敗した試合の直後でもあり、脚の不調もあってサービスが乱れた。2月3日の準決勝でセルビアのアナ・イワノビッチと対戦した時、第1セットを 1-6 で落とした後メディカル・タイムアウトを取り、第2セットの第1ゲーム終了後に途中棄権を申し出た。
[編集] エピソード
- テニスプレーヤーとは別にファッションモデルとしても活躍しており、ファッション雑誌の人気も高い。2004年の東レ・パン・パシフィック・テニスとウィンブルドン3回戦で実現したダニエラ・ハンチュコワとの“美少女対決”はどこでも抜群の観客動員力がある。
- 7歳からアメリカに居るため英語は堪能、逆に母語のロシア語はあまり得意ではないらしい(日常会話には支障はない)。また、国別対抗戦・フェドカップのロシア代表を辞退し続けるなど、ロシアを軽視する言動が目立つなどの理由によりロシア国内での人気はあまり高くない。一方、隣国ウクライナではロシア軽視は問題とならないのか人気はある。
- 日本での活躍も多く、かなりの人気である。ツアーでも日本のトーナメントとの相性は抜群で、本人も日本好きで有名である。2004年にはNECの、翌年にも本田技研工業やキヤノンなどのテレビCMにも出演している。勿論アメリカでもモトローラ携帯電話イメージキャラクターに起用されたり、大手香水会社「パルロックス・フレグラン」とも契約していて、2005年には彼女の名前の付いた香水が発売された。これら副業の成功もあり、女子スポーツ選手としては世界トップの収入を誇る。しかし日本ではよくシャポラワと間違えられる。
- 使用ラケットはプリンス、ウエアーとシューズはナイキ。好きな日本食はしゃぶしゃぶと抹茶アイス。趣味は切手収集。
- 彼女はボールを打つときに独特の甲高い叫び声をあげながらラケットを振りぬくことでも有名で、彼女の愛称になぞらえて「妖精の叫び」などと形容されている。あるテレビ番組の企画で、彼女がボールを打つときの声量を測定したところ『101db』(デシベル)であった。この数字はパトカー等のサイレンと同等レベルで、その声は聞くものにとっては不快感を伴うにレベルに達するという。ちなみに地下鉄70db、道路工事100dbである(なお、各比較対象値は目安)。2002年に175cmだった身長は2003年に183cmまで伸び、現在は188cmとなっている。急激に身長が伸び手足が長くなったため、プレースタイルが体についていかない時期もあった。
- 一時期は日本のCMを多数抱えていたが、上記のように高身長(188cm)になった為か、2007年3月現在は日本のCMに出演していない。
- 父親は彼女の試合だけではなく、練習にも常に同伴してくる。一時期ロシア・ナショナルチーム内でのアナスタシア・ミスキナとの確執が報道されたが、この時、ミスキナは彼女の父親が練習を参観する事を嫌っていた。
- 2007年2月14日、国連開発計画親善大使に就任し、チェルノブイリ原発事故後遺症に苦しむ祖国ロシア・ベラルーシ・ウクライナの8つの若者支援プロジェクトに自身の基金から10万ドルを寄付すると発表した。
[編集] 4大大会優勝
- (全豪オープン準優勝1度:2007年)
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
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2004年 | ウィンブルドン | セリーナ・ウィリアムズ | 6-1, 6-4 |
2006年 | 全米オープン | ジュスティーヌ・エナン・アーデン | 6-4, 6-4 |
[編集] 主な出演CM
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- マリア・シャラポワ公式サイト (英語)
- Fans Maria Sharapova
- マリア・シャラポワ - WTAツアーのプロフィール(英語)
- マリア・シャラポワ - Internet Movie Database
女子テニス世界ランキング1位 | |
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