エレノア・オブ・ブリタニー
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エレノア・オブ・ブリタニー (Eleanor of Brittany,1184年 - 1241年)は、ブルターニュ公女。父はジェフリー・プランタジネット(イングランド王ヘンリー2世と王妃エレアノール・ダキテーヌの四男)、母はブルターニュ女公コンスタンス。弟はアーサー・オブ・ブリタニー。「フェア・メイド・オブ・ブリタニー」(Fair Maid of Brittany)と呼ばれた。フランス語ではエレオノール・ド・ブルターニュ(Éléonore de Bretagne)。英語では、エレノア・プランタジネット(Eleanor Plantagenet)とも呼ばれた。
リチャード1世の死後に生じた王位継承問題で、彼女の弟アーサーとリチャードの末弟ジョン王の争いが起こった。ミラボーの戦いでアーサー派は敗走し、エレノアはアーサーとともにジョンの騎士たちに捕らえられた。アーサーは幽閉され、己の王座の不動をたくらんだジョンに殺された。エレノアはドーセットシャーのコーフ城に幽閉され、30年もの間そこで生き延び、死去した。