オランダ商館
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オランダ商館(-しょうかん)は、かつてオランダ東インド会社が支店として設置していた商館のことである。 本項では、日本に存在していたオランダ商館について解説する。
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[編集] 概説
在日オランダ商館は、江戸幕府の命により長崎の出島に置かれていた。商館には商館長(カピタン)の他数十人が居たが、長崎奉行の管轄下で不自由な生活を余儀なくされた。出島での生活を「監獄」と書き記したカピタンもいる。幕府が商館員の日本滞在期間を制限していたため、カピタンは1年毎に交代することが多く、他の商館員も入れ替わりが激しかった。日本人との会話は、日本側が用意した通詞(通訳官)を常に通して行われた。
江戸初期から幕末に至る230年余りの出来事などを記した『オランダ商館日記』がある。
[編集] 沿革
慶長14年(1609年)、徳川家康より朱印状を与えられたニコラス・ポイクによって平戸に設置された。元和2年(1622年)、カピタンによる江戸参府が行われ、寛永10年(1633年)以降は定期的に江戸参府が行われるようになった。寛永18年(1641年)、幕府の命により商館が長崎の出島へ移転し、以後、商館のオランダ人たちは幕末まで厳しい監視と統制の下に置かれることとなった。
寛政11年(1799年)にオランダ東インド会社が解散したが、当時のカピタンは通詞の進言に従い、幕府に対してこの事実を報告しなかった。文化7年(1810年)にはオランダがフランスに併合され、オランダ東インド会社が活動していた地域はイギリスの占領を受けるなどしているが、在日オランダ商館はあくまでもオランダの東インド会社商館として幕末まで振る舞い続けた。
[編集] 関連項目
- ヘンドリック・ブラウエル(商館長在任:1613 - 1614年)
[編集] 参考文献
- 坂内誠一『江戸のオランダ人定宿 長崎屋物語』 流通経済大学出版会、1998年、ISBN 4947553065
[編集] 外部リンク
- 歴代の商館長 (オランダ語版Wikipediaの記事)