オーウェン・グウィネズ
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オーウェン・グウィネズ(Owain Gwynedd, 1100年以前 - 1170年11月28日)はウェールズのグウィネズの君主(在位1137年 - 1170年)。オーウェン・アプ・グリフィズ(Owain ap Gruffydd)とも言うが、彼の名前Owain(英語ではOwenと綴る)は日本語ではオエイン、オウェンなどと表記されることもある。大ルウェリンと呼ばれるルウェリン・アプ・ヨーワースの祖父で、ルウェリンの覇権の基礎を築いた人物として評価されている。
オーウェンの父、グリフィズ・アプ・カナンはグウィネズ(ウェールズ北部、スノードン山を中心とする地方)の強力かつ長命な支配者で、アングルシー島を根拠地に62年の長きに渡る治世を通じてウェールズに大きな影響力をふるった。オーウェンは兄弟とともに父を助け、1120年頃から盛んになるグウィネズの勢力拡大に活躍した。1135年に彼らはイングランドと戦って勝利を収めている。
1132年に長兄のカドワロンが死ぬと、オーウェンは兄弟間の第一人者となった。1137年に父グリフィズが死去すると、既に40歳ほどのオーウェンはグウィネズを兄弟と分け合って継承するが、次第に兄弟を圧倒し、1143年からはウェールズ北部のほとんどと南部の主要な拠点を領有するに至った。イングランドでヘンリー2世が即位すると、オーウェンはイングランド王の宗主権を受け入れ、1163年には王への忠誠の誓いと引き換えにウェールズの統治者として承認された。しかし、ウェールズの教会に対するカンタベリー大司教の権威は拒否し、1165年のウェールズ蜂起にあたっては王の所有する城を攻撃してさえいる。
オーウェンは1170年11月に死去した。彼の死により、息子たちの間で内戦が勃発し、グウィネズはオーウェン時代の繁栄を失ってしまった。グウィネズの更なる覇権はオーウェンの孫、大ルウェリンの登場を待たねばならない。