カルロ・アルベルト
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カルロ・アルベルト(Carlo Alberto di Savoia, 1798年10月2日 - 1849年7月28日)はサルデーニャ王国の第7代国王(在位:1831年-1849年)。元はカリニャーノ公(在位:1800年 - 1831年)。
サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世の弟トンマーゾ・フランチェスコに始まるサヴォイア家の分家サヴォイア=カリニャーノ家の7代目に生まれる。フランス王妃マリー・アントワネットに女官長として最後まで仕えたランバル公妃マリー・ルイーズは大叔母に当たる。
サヴォイア家の一族とはいえ6世代前に分家した遠戚であり、出生時には王位継承者とはほとんど考えられていなかった。しかしヴィットーリオ・アメデーオ3世の息子たちはいずれも男子が得られず、カルロ・エマヌエーレ4世からヴィットーリオ・エマヌエーレ1世、カルロ・フェリーチェと兄弟で王位が継承された末に男子が絶えたため、カリニャーノ公カルロ・アルベルトがサルデーニャ王となった。
1817年にトスカーナ大公フェルディナンド3世の娘マリア・テレーザ・ディ・トスカーナ(Maria Teresa di Toscana)と結婚し、3人の子をもうけた。
- ヴィットーリオ・エマヌエーレ(1820年 - 1878年)
- マリア・クリスティーナ(1826年 - 1827年)
- フェルディナンド(1822年 - 1855年、ジェノヴァ公、ウンベルト1世の王妃マルゲリータの父)。
王国の近代化を推し進め、晩年にイタリア統一運動に参加する。1848年にオーストリア帝国に宣戦布告し、リソルジメントを開始したが、1849年のノヴァーラの戦いに敗れて退位、ポルトガルに亡命し、同年死去した。
現フランス領のアルベールヴィルに彼の名(フランス語名はシャルル・アルベール:Charles Albert)が付いている。
先代: | イタリア君主一覧 | 次代: |
カルロ・フェリーチェ (在位 1821年 - 1831年) |
サルデーニャ王![]() |
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 (在位 1849年 - 1861年) |