カレン・ブリクセン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
カレン・ブリクセン(Baroness Karen von Blixen-Finecke、1885年4月17日 - 1962年9月7日)は20世紀のデンマークを代表する小説家。デンマーク語と英語の両方で執筆し、デンマーク語版は本名のカレン・ブリクセン名義、英語版はペンネーム(男性名)のイサク・ディーネセンもしくはアイザック・ディネーセン(Isak Dienesen)名義で作品を発表した。作品によっては作品間の翻訳の際に加筆訂正がなされ、時には別作品ともいえる物になっているという複雑な作家である。
目次 |
[編集] 生涯
1885年、デンマークルングステッズ生まれ。作家であり軍人であった父親ヴィルヘルム・ディーネセンに強い影響を受け、20代前半にはコペンハーゲン王立美術アカデミーで学んだり、パリで絵画の修業をしたり、あるいは文芸雑誌に小品を寄稿したりしていた。この時代の作品は画集などの形をとり後に復刻している。
1913年に父方の親戚のスウェーデン貴族のブロア・ブリクセンと結婚し、翌年ケニアに移住。夫婦でコーヒー農園を経営するが、まもなく結婚生活が破綻(夫に移された梅毒は生涯の病になった)し、離婚。単身での経営を試みるがあえなく失敗し、1931年にデンマークに帰国した。1933年(当時48歳)に本格的に作家活動を始めた。 1934年にアメリカで出版したイサク・ディーネセン名義の作品「七つのゴシック物語」で成功を収め、その翌年デンマークでカレン・ブリクセン名義でそのリライトを発表し、以降その名義の使い分けを始めた。
1950年代に入ると体調を崩す事が多くなり、執筆活動が困難になるものの、ラジオ番組などに出演するなどの活動を続けた。1962年にデンマークルングステッズで死去。
[編集] 主要作品
- 『七つのゴシック物語 Seven Gothic Tales』(1934年)
- 『アフリカの日々 Out of Africa』 (1937年) - 後に映画化『愛と哀しみの果て』
- 『運命譚 Anecdotes of Destiny』(1958年) - 後に収録作の一編が映画化『バベットの晩餐会』
- 『エーレンガード Ehrengard』(1963年)
[編集] 人名表記問題
Isak Dienesenは、本来はイサク・ディーネセンだが、映画『愛と哀しみの果て』の公開を機に、アイザック・ディネーセンという誤訳表記が広まり、定着してしまった。(アイザック=英語読み、ディーネセン→ディネーセン=デンマーク読みの誤表記)