カール・ハインリヒ・グラウン
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カール・ハインリヒ・グラウン(Carl Heinrich Graun, 1704年ごろ - 1759年8月8日)はドイツ人作曲家・声楽家。ハッセと並んで、イタリア・オペラの卓越した作曲家として同時代に知られていた。兄ヨハン・ゴットリープ・グラウンも作曲家で、ヴァイオリンのヴィルトゥオーソとしても定評があった。
ドイツのヴァーレンブリュックに生まれる。ドレスデン宮廷歌劇場の合唱団に加わった後、ブラウンシュヴァイクに転居、オペラ団のために6つの歌劇を作曲した。1740年にフリードリヒ大王が即位すると、グラウンはベルリンの宮廷楽長に招かれ、没年までその地位に就いた。
グラウンは数多くの歌劇を作曲したが、中でもプロイセン王フリードリヒ2世の台本による《モンテズマMontezuma 》(1755年)は有名であるが、作曲者の死後にもドイツ語圏で人気のあった受難オラトリオ《イエスの死Der Tod Jesu 》を除いて(1755年)、こんにち演奏される楽曲はない。協奏曲やトリオ・ソナタなども遺している。
グラウン兄弟は、後期バロック音楽から古典派音楽への過渡期に活躍した作曲家で、その作風は、ポリフォニーよりもモノフォニーを優先し、多感主義とギャラント様式による繊細な表現、ひたすらな旋律美の追究など、18世紀中ごろのドイツにおける新しい音楽思潮を反映している。