クラウト・ロック
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クラウト・ロック(Krautrock)は、1960年代末から1970年代初めにかけて西ドイツに登場した実験的バンド群、およびその音楽をさす一般名である。第二次世界大戦中、イギリス人がドイツ人をクラウト(=酢漬けキャベツ)と呼んだことに由来する。当初は侮蔑語として用いられたが、いまはその音楽の質の高さから賞賛の意味を込めて使われている。かつては、ジャーマン・プログレッシブ・ロック、ジャーマン・エレクトロニック・ミュージックという言葉がおもに使われた。
1968年、世界的なサイケデリック・ムーブメントの波を受けて、西ドイツ各地にサイケデリック・クラブが続々とオープンした。これがアーティストたちを育む土壌となった。同年9月に西ドイツ初のロック・フェスティバル「エッセン・ソングターゲ」が開かれ、フランク・ザッパなどの英米のアーティストとともに、アモン・デュール、タンジェリン・ドリーム、グル・グルらが出演した。これが最初ののろしとなった。
1969年にアモン・デュールI、アモン・デュールII(分裂して二つのバンドに分かれた)、カンがレコードデビュー。1970年にタンジェリン・ドリーム、グル・グルが続いた。いずれもまだ編成的には従来のロックの延長線上にあった。電子音楽の道に先鞭をつけたのは同年にデビューしたクラスターである。その音楽の特徴は、混沌とした無定形な電子ノイズの変幻であった。同年クラフトワークもデビュー。両者に録音技師として関わったのがコニー・プランクで、その後もクラウト・ロックをさまざまな面で支えた。
クラフトワーク、ノイ! らを新興産業都市の明るさを反映する新即物主義的なデュッセルドルフ派とするなら、タンジェリン・ドリーム、アシュ・ラ・テンペル、クラウス・シュルツらは東側に取り残された陸の孤島のベルリン派であり、ドラマティックでロマン主義的な「コスミッシェ・ムジーク(宇宙音楽)」を展開した。アモン・デュール(I、II)、ポポル・ブフ、エンブリオはカトリックとワーグナーの伝統が息づくミュンヘンのグループだが、非西洋文明に惹かれていた以外にとくに共通点は見いだせない。カンはケルン、ファウストはヴュメ出身であり、どちらかというとデュッセルドルフ寄りといえる。
[編集] 参考図書
明石政紀 『ドイツのロック音楽』 水声社、1997年 ISBN 489176349