クヮンガクッ
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クヮンガクッは毎日放送で1999年10月から2001年3月まで放送されていた関西ローカルのバラエティテレビ番組である(なお、一時期、同じTBS系列の宮崎放送でも放送されていた)。キャッチコピーは「ヒマだからドキュメント」。番組タイトルの由来は不明だが、プロデューサーなど主要スタッフの多くが関西学院大学、略称・関学(かんがく、英語表記ではKWANGAKUとされる)の出身であり、このことが由来となっていると考えられる。(ステレオ放送)
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[編集] 概要
baseよしもとのお笑い芸人が梅田―難波間を舞台とした様々な企画に挑戦する。テレビ初レギュラーだったり、初出演である芸人ばかりを集めたので「ヒマだからドキュメント」とキャッチコピーがつけられた。
企画は大きく分類すると次のようなものがあった。
- クリアするまで梅田―難波間を行き来するもの。
- スタートを梅田、ゴールを難波とし、ゲームに成功すると御堂筋を少しずつ進めるもの。途中で失敗するとスタート地点に戻される企画もあった。
- スタートを梅田、ゴールを難波とし、中継地点がどこになるかわからないもの。
その他に漁場のある魚に印をつけて、黒門市場に行くか?という梅田-難波間以外の地域の企画もあった。
[編集] 主な企画
[編集] レシートすごろく
- 梅田をスタートして、通行人にレシートをもらい、そのレシートの店に行き、それを繰り返し難波の高島屋に行けたらゴール。ただし通行人が自発的に「あげる」と言った場合は無効。
- 陣内智則が挑戦して、北海道から沖縄まで日本各地に飛ばされることとなった。総移動距離は18,780km、貰ったレシートの枚数は合計239枚。関西圏を抜けるとディレクター1人がデジカメを持って同行するのみになるため、「おっきいカメラ」(ENGカメラ)の撮影クルーが来ると喜んだ。
- ロケ1日目には梅田から心斎橋へと順調に南下していったが、最後に新宿・手塚治虫ワールドのレシートを引いてしまう。
- ロケ2日目に東京から近畿圏の明石への脱出に成功するが、ここから北九州→沖縄のレシートを続けて貰い、一気に沖縄へと飛ばされる。丸2日かけて沖縄を脱出するも、大阪・八尾→北海道・千歳空港と、たった2枚のレシートで今度は北海道へ飛ばされてしまう。
- 北海道へ飛ばされる直前、逃亡をするが捕まってしまう。
- 同じ高島屋でも、難波以外のレシートをよく貰っていた。ロケ2日目には東京で新宿高島屋のレシートを貰う。また、JR名古屋駅にある「ジェイアール名古屋タカシマヤ」開店の日にそのレシートを貰い、店の前で何十人もの「名古屋タカシマヤ」のレシートを貰う羽目に。極めつけは難波高島屋のすぐ手前で泉北高島屋(堺市、泉北高速鉄道泉ヶ丘駅前)のレシートを貰ったシーン。ぬか喜びに終わった陣内はその場で崩れ落ちた。
- 山梨県ではカナダ・トロントのレシートを貰い、ロケに同行していたディレクターが大阪にいるプロデューサーに電話で相談して会議をした結果「予算が足りないので海外ロケは無理」との判断が下され、別のレシートを貰うことになった。(後に特番でチュートリアルが実際にカナダのトロントへ飛び、日本のレシートをもらうことが出来るかを実験する企画が放送された。)
- 結果、クリアに5ヶ月を要し、ゴールの際に高島屋の受付係から花束を手渡されて大いに歓迎された。2000年8月には総集編として土曜深夜に生特番を組んだ。
- この時に沖縄で親しくなった沖縄県の土産店の従業員が深夜の特番のほか、後釜企画のうまいもんすごろくにも出演。
[編集] うまいもんすごろく
- レシートすごろくの後に企画された、陣内のすごろく第2弾。難波の高島屋前を出発し、通行人にとって「うまいもん」を教えてもらい、その店で実際に食べて、それを繰り返して今度は梅田の阪神百貨店地下にあるイカ焼きが食べられたらゴール。
- 食事代は陣内が支払い、ゴールするまで陣内に代金が戻ってこないという、当時の陣内にはシビアなルールであった。(しかし、ゴールまでの代金10万3千円はすべてイカ焼きとなった。)
- 番組の最終回でゴールした。
[編集] 赤い傘に入れてもらって 梅田~難波
- 梅田から難波までの移動を道行く人の赤い傘と一緒に移動するというもの。
- チュートリアルが挑戦した。
- 梅雨限定企画で、なかなか雨が降らず、お天気おじさん今出東二がチュートリアルに梅雨明けを宣言して企画終了となった。
[編集] 出演者
番組開始半年後にレイザーラモンからサバンナに交代となった。
[編集] スタッフ
名前の後ろに※印のついているスタッフが、関学大出身者である。