陣内智則
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陣内 智則(じんない とものり、本名同じ、1974年2月22日-)は、日本のお笑い芸人であり、ピン芸人である。兵庫県加古川市出身。兵庫県立高砂南高等学校卒。身長168 cm。血液型A型。 1人コント形式で音声や映像に対してツッコミを入れるという独特なスタイルに定評がある。あだ名は「ジンくん」「ジンさん」、一時期はヨン様にあやかって「ジン様」と呼ばれて(呼ばせて?)いたこともあった。「とものり」の由来は「丸美屋」の「のりたま」から「のりとも」、「とものり」となったということをコントのネタにしていた。妻は女優の藤原紀香。義弟がいる。
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[編集] 人物
吉本興業大阪本社所属。大阪NSC11期生。同期には中川家、たむらけんじ、ケンドーコバヤシ、ハリガネロック、ルート33堂土、吉本新喜劇の烏川耕一などがいる。
尚、ココリコ・藤井隆らはデビュー年は一緒ながら、こちらがわずかに先であるため陣内側が後輩扱いとなる(学年的にも陣内の方が2つ下)。
クリエイターの原田専門家(彼も同じくNSC11期生)と共に作った映像や音声を駆使したネタにツッコミを入れるという、ピン芸人として今までに無いスタイルを確立。
3人兄弟の末っ子(兄と姉がいる)。
視力が悪く(両眼共に0.05であった)、以前はコンタクトレンズ・メガネを使用していたが、2007年4月にレーシックの施術により視力が両眼とも1.5にまでなった。
[編集] タイガースファン? (角淳一との舌戦)
『ちちんぷいぷい』の司会者である角淳一とはいつも舌戦を繰り広げていた。プロ野球阪神応援番組『週刊トラトラタイガース』(読売テレビ)の司会に抜擢されるも、実は巨人ファンとの噂もある。本人は阪神ファンだと主張しているが、阪神に関する知識に曖昧な点も多く、松村邦洋やダンカンは陣内は本当は巨人ファンだと主張している。もっとも、この主張に関しては自分達の阪神キャラとしての地位を陣内に奪われるのではないかという危機感によるものとの声もある。私生活で赤星憲広、浅井良や阪神タイガースの若手選手との交流があり、元関西テレビアナウンサーの梅田淳の話によれば、陣内の結婚話が噂になった当日、梅田が阪神の赤星憲広に知らせたところ、赤星は「私、相当前から知ってましたよ」との返事が返ってきた。
[編集] 苗字について
名前の良く似た俳優の陣内孝則や、元バドミントン選手の陣内貴美子らとの血縁関係はないが、彼自身の実兄が"たかのり"という名前で、漢字では陣内孝則と一文字違いである(関西のラジオ番組では定番ネタで、日本テレビのバラエティ番組『カミングダウト』などで全国的に明らかに)。また、智則・孝則・貴美子の三人で、関西テレビの『陣内家』という単発番組で共演を果たしている。また、陣内の祖母が死に際に「うちの親戚には役者がいる」と陣内孝則との血縁関係がある主旨の発言をしたという噂があるが、陣内の祖母は生きている。
[編集] 経歴
[編集] NSC入学から「リミテッド」時代
地元の同級生と一緒にNSC大阪校の11期生として入学。同期は、中川家・ケンドーコバヤシ・たむらけんじ・ハリガネロック等。卒業後、その同級生と2人で「リミテッド」と言うコンビを結成(このコンビ名は陣内が「限界」という意味の「リミット」と間違って名付けたものである。「リミテッド」は「制限された」「わずかな」という意味の言葉であるが、本人は指摘されるまでこの勘違いに気付かなかったという)。心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動をスタートさせる。しかし当時の「リミテッド」は「2丁目劇場で一番おもんないコンビ」と言われ、余りのつまらなさに一時期はファンの間で「リミテッドを見ると不幸になる」とまで言われた。(しかし、そうは言われながらもファンの間では愛されていたという)結果コンビは、結成3年後の1995年9月に解散。相方は芸能界自体をも引退してしまった為、陣内自身はピン芸人への転向を余儀なくされる。
[編集] ピン芸人としての再出発
リミテッド解散時、年末の若手ネタ番組「オールザッツ漫才」出演。若手芸人のトーナメント戦で欠員が出た為(相方の突然の不参加による)、陣内が急遽、進行役のオール巨人との協議の結果、1人でネタを披露するという場面があった。センターマイク前に1人で立ち、一発ネタを1人でただしゃべるだけだったが、なぜかウケにウケまくり、3回戦まで進出してしまった。しかし「リミテッド」解散のショックからなかなか立ち直れないでいたなか、ある日吉本側から「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と、ついに“最期通告”を受ける。プレッシャーからネタ作りもままならず、開演数分前にようやく完成。そのイベントで今までに無いぐらい評判が良かったため、会社の彼に対する評価も一変。次々と仕事が舞い込むようになる。しかし「ネタは面白いのにしゃべりは絶望的」など批判も多かった。1999年10月スタートの情報番組「ちちんぷいぷい」(毎日放送)の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日のかつての人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西のおばちゃん層への知名度も徐々にアップ。深夜のバラエティ番組「クヮンガクッ」(同)での"レシートすごろく"(梅田をスタート、難波の高島屋をゴールに設定し(その距離はわずか数キロ)、道行く人にレシートを見せてもらい、そのレシートのお店へ行かなければならない。すぐ終わると思いきや日本のあちこちに飛ばされた。ロケ期間約5カ月、その距離15000km以上。東京から北九州を経て沖縄へ飛ばされ、ようやく大阪に帰ってきたと思いきや、次の人に北海道・千歳空港内の店のレシートを渡されたり、カナダの店のチケットを渡されるなど(これはプロデューサー会議の末、予算の都合で無効となった)、予測不能のハプニングが相次いだが、そのおかげで番組の人気コーナーとなる。ゴールは大歓声をもって迎えられた)は、その後「ノブナガ」(中部日本放送)で人気となったコーナー「地名しりとり」をはじめ、各局で類似の番組が多く制作されている伝説的企画となった。
[編集] baseよしもと時代
1999年にbaseよしもとがオープン。FUJIWARA、シャンプーハットらとともに後輩らをまとめる役を買って出ることに。また、この頃から番組やイベントなどでの司会を任されるようになるが、そのなかでも圧倒的に毎日放送での仕事が多い時期があった。そのため、彼は「MBSの若獅子」「MBSと言えば陣内智則」と言われ、ケンドーコバヤシには「(当時同局アナウンサーの角淳一に媚びているのではないかという冷やかしで)角智則に改名しろ」と言わしめたほどであった。
また、2ちゃんねらーから「陣内志ね!(「死ね」ではない。「志」は、「氏」など"し"の読みをする他の漢字に変わることもある)」という"称号"を頂くようになった。これは、過去にオールザッツ漫才やbaseよしもとのイベントなどで、たむらけんじやケンドーコバヤシらが自分に比べて"売れている"陣内のことを「陣内死ね」と揶揄したことを半ば悪ふざけで使っているものであり、決して忌み嫌われているわけではなく、寧ろ陣内に対し好意的なイメージを持っている場合に使われる。
[編集] base卒業後
現在はbaseよしもとを卒業し、うめだ花月やルミネtheよしもとなどで活動。また、2003年に「エンタの神様」(日本テレビ)に出演して以来、東京での仕事も増えているが、現在の彼の活動は平日は大阪で仕事をし、木曜日に「なるトモ!」の生放送と同番組の金曜分の収録が終わるやいなや、午後から新幹線や飛行機で移動し東京で番組収録(「エンタの神様」など多数)や、ルミネtheよしもとの公演をこなしている。また、朝日放送の日曜正午枠の「日曜笑劇場」には、『開運コメディ 今日も大吉!パンパンパン』からフットボールアワーらとともにレギュラー出演(主演)するようになり、『なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ!』にも、引き続きフットボールアワーらとともにレギュラー出演(主演)している。
2004年からは、声優など他の仕事も舞い込むようになった。 映画「犬夜叉 紅蓮の蓬莱島」(2004年12月23日公開)では声優デビューを果たす。が、本人は原作を「読んだことがない」「犬が戦うマンガ?」とラジオで発言してしまう。また、実写では2005年に公開された映画「ビートキッズ」(HUNGRY DAYS、相武紗季ほか出演)に、半ば無理やり"大学生D"というエキストラで出演。テレビコマーシャルでは、兼ねてから好きだと公言していたゲームソフト「桃太郎電鉄」(ハドソン)の新シリーズ、「桃太郎電鉄USA」のコマーシャルに出演(若槻千夏、Psycho le Cemuと共演)。これが自身初のCMとなった。2005年4月4日、5年2ヵ月レギュラー出演していた関西ローカルの情報番組、「ちちんぷいぷい」を卒業した。 その後すぐ、日本テレビ系列の番組「ミンナのテレビ」・「世界!超マネー研究所」でレギュラー出演が決定。 両番組は2005年4月から9月まで放送されたが、それ以来、陣内は司会の立場で、全国区や関西ローカルのテレビに出演することが多くなってきている。また、関西ローカルで放送されている「なるトモ!」が2005年10月3日から日本テレビ、中京テレビ、広島テレビ、熊本県民テレビでもネットされるようになった。 2005年12月、映画「ブラック・ジャック ふたりの黒い医者」の声優も務めた。 爆笑オンエアバトルでは初出場にして、元番組最高記録537KB(満点で545KB)をたたきだした。(後にますだおかだが満点で記録更新。)その後16戦16勝という高記録でゴールドバトラーにのぼりつめた。
また、2005年12月31日開催の「輝け!ネタのグランプリ」で優勝し賞金1000万円を獲得した。このことから関西番組を中心に1000万取ったことでイジられることが増えている。
2006年1月19日放送の「なるトモ!」で番組開始から約1時間の遅刻をしてしまう。「陣内智則のひとり番長」生放送終了後、東京から大阪へ向かう新幹線で熟睡、下車する新大阪駅を乗り過ごしたことが直接の原因。この一件は大阪版スポーツ紙などでも報道された。くわしくは「なるトモ!」の項を参照。
[編集] 藤原紀香との出会い・結婚
2006年4月に、日本テレビ系ドラマCOMPLEX「59番目のプロポーズ」にて陣内は、藤原紀香と出会うことになる。 ドラマ収録後の打ち上げの席で、陣内は藤原に手紙を渡し、そこから二人のお付き合いが始まる。
7月14日のヨシモト∞で、急性扁桃炎にかかっていると告白。声が出なかったためエンタの神様のスタッフに病院に連れて行かれ、ステロイド注射を打ったという。しかし、結局声は出ず「2年間ずっと眠い」という注射の副作用だけが残ることになった。なおこの日に藤原が渋谷∞ホールまで自分の料理したサムゲタンを届け扁桃炎で弱った陣内を元気付けた。(「恋のかま騒ぎ」より)
2006年末になって藤原との結婚の話でメディアに注目され、12月10日神戸市内の生田神社で結納を交わし、2007年2月17日に同神社で挙式(結婚式には、同期のケンドーコバヤシ・たむらけんじやなるトモ!で共演するなるみ・海原やすよ・ともこ・シャンプーハット小出水らが出席した)。この挙式の模様は、同日16:20-16:55によみうりテレビが放送(他には熊本県民テレビ(KKT)がネット)し、関西で18.2%という高視聴率を挙げた。交際をするにあたり、なるトモ!に出演している芸能リポーター駒井千佳子に相談していた。翌日に出演した「ルミネtheよしもと」では、生田神社の様な規制(但しコント出演中の写真撮影禁止)もなく、素でコントをしている所が見れたり、「ルミネtheよしもと」と「映画の試写会」では、「おめでとう」を言う人が多かった。また、結婚により藤原紀香の本名が「陣内紀香」となったが、藤原の方が全国的な知名度が高いため、テレビ等のネタで「藤原智則さん」と呼ばれたり、「いつ藤原姓になるの?」などと言われている。また、結婚を機に東京の藤原の部屋に引っ越し、「なるトモ!」の放送及び収録がある毎週月曜~木曜は片道3時間にもわたる新幹線通勤を試行している。
2007年4月10日、陣内智則と藤原紀香は加古川市役所にて婚姻届を提出し正式に夫婦となった。
[編集] 出来事
- 2005年6月13日放送の行列の出来る法律相談所で、女優・田丸麻紀と交際宣言をしメールアドレスの交換も済ませニュースでも話題になったが、田丸からの返事はいつもそっけない返事ばかりだった。ある日ワイドショーに出演していた田丸に報道陣が「陣内さんと恋なんてことは?」と聞くと「それはないですね」と発言し、それをテレビで見ていた陣内は同法律番組で自身が相談者となって慰謝料を請求した。(これは陣内が田丸と交際するために、その頃交際していた彼女をテレビであっさり振ったところ、ファンやめますというファンレターが大量に届いたり、ライブを開いても空席だらけであったため。)※詳細は外部リンク
- 生来の「天然」のせいで、2丁目時代には同事務所の千原兄弟、サバンナなど先輩・後輩問わずいじられまくっていた。特に親友のケンドーコバヤシは、陣内の家に泊まりに行って、「朝起きたらメガネを台所で炒める(それを見た陣内はメガネが炒められていることではなく、「お前かってに火を使うな!」と、かってにコンロを使っていることに怒った)」「メガネをマジックで真っ黒に塗る(その眼鏡をかけて陣内が最初に言った言葉は「世界終わった!!」)」「真夏に暖房をつけて寝ている陣内が出られないように外から玄関を封鎖する」などいじられっぷりは類を見ない。
- 営業などにおいては、一時期、コンビでもないのに同期のケンドーコバヤシとのセットが多く、周りもコンビと見紛うほどであった。彼とはプライベートでも息がピッタリ合っている。
- ある特番の収録中にツッコミのつもりでガッツ石松の頭をたたいたところ、ガッツは怒ってしまった。その後ガッツに謝罪して和解が成立したが、今でもガッツには頭が上がらないようである。
- ネタ番組「すんげー!Best10」で千原ジュニア、山下しげのりとともに披露した、「メガネ部」は、吉本興業の事務所スタッフ内でも伝説となっている。
- 「すんげー!Best10」の中でしましまんずの池山心が、当時ピン芸人として瀬戸際に立たされていた陣内をネタに歌を作り、これが大うけしたことがある。歌詞は以下の通り。
-
- ♪ 陣内、君は支配人に「辞めろ」って言われたね。
- だけど君は、その後こう言っていた。「支配人の方が辞めればいいのに」って。
- 負けるな陣内 君なら絶対できる 絶対できるよ、サラリーマン
- 負けるな陣内 君なら絶対売れる 絶対売れるよ ジャリズムが
- ABCDEFじんな~い
- ロンドンハーツで陣内は携帯電話の電話帳で藤原紀香の事を「姫」と登録している事が分かった。
- 2006年9月17日放送の「陣内智則のイケメン5in豪州」という番組で、後輩芸人のチュートリアル徳井がゲームに負けて、高さ50mからのバンジージャンプを飛ぶことになったが、徳井は恐怖で飛ぶことができず、番組成立のため自ら名乗り出て代わりにバンジーを飛んだ。また同日行われた、仲の良い後輩芸人ビッキーズ須知のために彼の結婚式の披露宴の司会を行った。
[編集] 受賞歴
- 1999年第19回ABCお笑い新人グランプリ・優秀新人賞
- 2000年第29回YTV上方お笑い大賞・銀賞(最優秀新人賞)
- 2004年第33回YTV上方お笑い大賞・話題賞
- 2005年第14回東京スポーツ映画大賞・日本芸能大賞
- 2005年NTVお笑いネタのグランプリ!!・グランプリ
[編集] レギュラー出演
[編集] テレビ
- なるトモ!(讀賣テレビ放送)※司会
- ジャイケルマクソン(毎日放送)
- なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ!(朝日放送)
- 週刊プラチケ!(関西テレビ放送)※関西ローカル・毎週水曜日(2006年4月12日~)
- エンタの神様(日本テレビ放送網)※不定期出演(キャッチフレーズ:「笑いのニューウェーブ」)
- 爆笑問題の検索ちゃん(テレビ朝日)※準レギュラー
[編集] ラジオ
[編集] CM
- ハドソン「桃太郎電鉄」シリーズ
- ハドソン「桃太郎電鉄USA」
- ハドソン「桃太郎電鉄G」
- ハドソン「桃太郎電鉄15 五大ボンビー登場!」
- なんばウォーク ※CMソング歌唱による出演
- NEC「VALUESTAR SR」※店頭PRビデオ
- ECCコンピュータ専門学校
[編集] 過去
[編集] ラジオ
- AM808。マジっすよ!(毎日放送ラジオ)
- B月曜日(毎日放送ラジオ)※ケンドーコバヤシと
- Bフライデースペシャル 陣内・ケンコバ45ラジオ(毎日放送ラジオ)※ケンドーコバヤシ、サバンナ、シャンプーハットらと
- JUNK2「陣内智則のひとり番長」(TBSラジオほかJRN系列)
- ゴーゴーモンキーズ月曜日(毎日放送ラジオ)※シャンプーハット、原史奈らと
[編集] テレビ
- 爆笑オンエアバトル(NHK)オンエア率16/16 最高537KB ゴールドバトラー認定
- すんげー!Best10(朝日放送)
- クヮンガクッ(毎日放送)
- ?マジっすか!(毎日放送)
- オ・サ・ム(毎日放送)
- ちちんぷいぷい(毎日放送 1999年10月より月曜レギュラーとして出演)
- 大阪発元気ダッシュ!DOYAH(BS2)
- 週刊トラトラタイガース(読売テレビ 2003年から2005年番組終了まで)
- 百万馬力 ナイチンゲーラー(朝日放送)
- きもちぃ!(テレビ東京系)
- ぐるはぴっ!(テレビ東京系)
- ネプベガス(TBS 2006年)
- 開運コメディ 今日も大吉!パンパンパン(朝日放送 2004年4月~9月)
- メンB
- 世界!超マネー研究所(日本テレビ 2005年4月~9月)
- ミンナのテレビ(日本テレビ)
- べぇえす! (テレビ大阪)
- さんまのまんま(関西テレビ)-ケンドーコバヤシと共に出演。
- ウタワラ(日本テレビ)
[編集] ドラマ
- かるたクイーン(NHKテレビ)
- 恋っすか!?GO!GO!(毎日放送 単発)
- 59番目のプロポーズ(日本テレビ放送網 DRAMA COMPLEX内)※藤原紀香との出会いとなったドラマ。
[編集] DVD
- NETA JIN (YOSHIMOTO WORKS/R&C Japan)
- NETA JIN 2 (2007年2月28日発売)
[編集] その他
- 公共広告機構「コントのネタに使うことがある。」