ケビン・ナッシュ
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ケビン・ナッシュ(Kevin Nash、1959年7月9日 - )はアメリカの男子プロレスラー。ミシガン州デトロイト出身。2mを超える巨漢レスラーでニックネームはビッグ・ダディ・クール(Big Daddy Cool、主にWWE)、ビッグ・セクシー(Big Sexy、主にWCW)など。
[編集] 経歴
レスラーになる以前はヨーロッパでプロバスケットボールの選手として活動していたが、膝の怪我が元で引退。その後WCWの養成所パワー・プラントに入門し、1988年にスティール(Steel)と名乗り、ブレイド(Blade)(アル・グリーン)とのタッグチーム、マスター・ブラスターでデビューしたが1991年に解散。
その後、オズの魔法使いをモチーフにしたオズ(Oz)に変身するが不発。なお、この頃新日本プロレスにザ・グレート・オズ(The Great Oz)のリングネームで初来日を果たしている。その後カジノの用心棒をキャラクターにしたヴィニー・ベガス(Vinnie Vegas)に変身し、ダイヤモンド・ダラス・ペイジとのコンビ、ベガス・コネクションで活躍。これがWWF(現・WWE)のショーン・マイケルズの目に止まり、彼のボディガードにと請われて1993年に引き抜かれ移籍。
同年、ショーン・マイケルズのボディガード、ディーゼル(Diesel)としてWWFに初登場。マイケルズとのコンビでWWF世界タッグチーム王座やインターコンチネンタル王座、さらにはWWFヘビー級王座を獲得するなど活躍。しかしその後WWFとの間で契約や盟友・スコット・ホールの件でトラブルになり、WCWから巨額の契約金と年俸を提示されたのを機に、まだWWFとの契約期間が残っているにもかかわらず退団してしまう。
1996年7月にホールとのジ・アウトサイダーズを結成しWCWに参戦。当初はビンス・マクマホンの指示でWCWを潰しに来たと称していた。またジ・アウトサイダーズとして初登場した際に、放送ブースに居たエリック・ビショフに対し、「WWFの悪口を言い触らしているのはてめぇか!」と迫り、ブースから引きずり出したビショフを通路にジャックナイフで叩き付けている。
これはエリック・ビショフの考えた『WWF対WCW』というギミックに基づいてのものだった。さらに盟友のショーン・マイケルズ、ハンター・ハースト・ヘルムスリー、そして1-2-3-キッドの参戦を臭わす発言もしていたが、結局このギミックに関連して移籍してきたのは、1-2-3-キッドと、既にセミリタイアしていたジャック・ルージョーJr.、契約だけで試合出場の機会のなかったジャン・ポール・ラファイエットだけだった。これはWWFが様々な対抗処置を講じた結果である。
そしてジ・アウトサイダーズ参戦から1月足らずで『WWF対WCW』は頓挫してしまい。WCWは急遽アングルの練り直しをするハメに陥ってしまう。そこで新たに考え出されたアングルがnWoだった。もっともこれはハルク・ホーガンのアイデアだったらしく、当時WCWで浮き上がっていたホーガンが、トップ復帰を狙ってナッシュとホールを抱き込んで結成したものだった。
このnWoは、ライバル団体・WWFを廃業寸前に追い込むまでの一大ムーヴメントを巻き起こすが、1998年にnWoは二派に分裂し、ナッシュは赤nWoことウルフパックを結成し、ホーガン率いる白nWoと抗争。しかしストーリーのマンネリ化からWCWの勢いは徐々に失速し、2000年にWWFに買収され消滅。
WCW消滅後は沈黙を続けていたが2002年にホーガン、ホールと共にオリジナルnWoを再結成し、WWFに再登場。しかし膝の負傷で欠場を続け、さらに大腿二頭筋断裂という重傷を負い長期欠場となる。 2003年の4月に復帰し、トリプルHとの抗争や盟友ショーン・マイケルズと再び組むなどしたが、頚部の怪我が悪化するなどして結局は2003年末の契約満了に伴いに退団した。
その後はTNAに移籍、2004年5月15日にはハッスルの第3回興行に、ホールとのジ・アウトサイダーズとして参戦している。
[編集] 得意技
- ジャックナイフ(投げ捨て式パワーボム)
ザ・ジャイアント(ビッグ・ショー)を持ち上げた事もあるが、失敗して首からマットに突き刺してしまう。
[編集] 外部リンク
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