ケレスティヌス5世 (ローマ教皇)
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ケレスティヌス5世(Papa Caelestinus V, 1215年 - 1296年5月19日)は、中世のローマ教皇(在位1294年)。教皇の座を厭い、自主的に退位した。
イゼルニア出身、本名はピエトロ・ダ・モローネ Pietro di Morone。禁欲主義を貫き、高徳な修道士であった。前教皇ニコラウス4世(在位1288年 - 1292年) の死後、後継者が決まらず2年間の空位のあとに教皇に選ばれた。しかし、本人は教皇の座を望まず、自ら「教皇に選ばれた者は、選出を拒否する権利をもつ」という法令を出し、半年で退位した。(モンタネッリ『ルネサンスの歴史』によれば、すべてカエターニ枢機卿の仕組んだことだという)
退位後、カエターニ枢機卿はボニファティウス8世として即位。前教皇ケレスティヌスは捕らえられフモーネ城に閉じ込められて、そこで亡くなった。
のちに列聖された。
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