ケントロサウルス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
このページでは Kentrosaurus について扱っています。 Centrosaurus (角竜)についてはセントロサウルスで扱っています。
?ケントロサウルス Scutellosaurus |
||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ケントロサウルスの骨格模型 フンボルト大学ベルリン自然史博物館 |
||||||||||||||||||
分類 | ||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||
種 | ||||||||||||||||||
|
ケントロサウルス( Kentrosaurus ) はジュラ紀後期、キンメリッジ期、アフリカに生息していたステゴサウルスに近縁な剣竜類の草食恐竜。体長は2.5~5 mで学名の意味は「スパイクのトカゲ」である。
目次 |
[編集] 特徴
ステゴサウルスに近縁であるが、大きさ、装甲の形状、体の柔軟性において差異が認められる。大きさはステゴサウルスが体長7.4 m、体重3,500 kgに達するのに対してケントロサウルスは体長2.5 m、体重400 kgとはるかに小型である。背中の骨板はステゴサウルスでは菱形の骨板が2列互い違いに配置されているが、ケントロサウルスでは2列対称に配置しており、更にその骨板はヨーロッパのレクソヴィサウルス( Lexovisaurus)などと同様に腰の辺りからは細く伸びた棘状に変化している。ステゴサウルスの骨板が体温調節の働きがあったのに対してケントロサウルスの骨板と棘はもっぱら防衛のみ用途だったようだ。またケントロサウルスの腰の辺りには湾曲した鋭い棘がある。なおこの棘については、トオジャンゴサウルス(Tuojiangosaurus)など中国で発見されている他の種では肩についていたという証拠が得られているため、ケントロサウルスの復元に関しても見直すべきだという意見がある。
ステゴサウルスの脊椎骨を特徴付ける腰から尾にかけての脊椎骨の顕著な棘突起がケントロサウルスにはなかった。この棘突起に付着した強靭な筋肉によりステゴサウルスは後肢のみで立ち上がり樹木の葉を食べることもできたが、ケントロサウルスには不可能であったようだ。足の他の部分に対する大腿骨の長さの比が大きくこの恐竜が遅くて不活発な恐竜であったことを示す。
[編集] 生息環境
ケントロサウルスとステゴサウルスの類似性と相違点は大陸移動をよく示している。北アメリカで発見されたステゴサウルスとタンザニアのテングダル盆地で発見されたケントロサウルスが近縁であるということは地球のこれらの現在遠くに切り離された2箇所がかつて非常に近く、パンゲア(その後北半分がローラシアになった)として知られる超大陸の一部であった証拠である。 また、これらの2箇所は非常によく似た気候状態でありよく似た種が生まれたのだろう。一方で相違点は同じ先祖をもつ動物がそれぞれのグループで別々にたどった進化の上での変化を示している。
[編集] 発見
1909年–1912年のドイツによる東アフリカ遠征はいくつかの新しい恐竜種の発見をもたらした。中でもケントロサウルスはそれらを概説する上で最も重要な種の一つであった。それらはかつてタンザニアとロッキー山脈の東地域のモリソン累層が近接していたことを示した。 この遠征に参加した3人の古生物学者の一人であるエドウィン・ヘニッヒが1915年にケントロサウルスを記載した。ほぼ完全な骨格が復元されベルリン大学Humboldt University of Berlinのフンボルト博物館(Humboldt Museum)に展示されたが、博物館が第二次世界大戦中爆撃され大部分は焼失してしまった。